「(」と一致するもの

日本財団パラリンピックサポートセンターは、早稲田大学オリンピック・パラリンピック事業推進室との共催で、以下の一般公開シンポジウムを開催しました。

「日本財団パラリンピックサポートセンター・早稲田大学オリンピック・パラリンピック事業推進室共催シンポジウム」~オリンピックとパラリンピックの連携~

           開催概要

■日時:2017年3月5日(日) 13:00 ~ 16:30(受付開始12:30)
■会場:早稲田大学 小野記念講堂(早稲田キャンパス27号館地下2階)
東京メトロ東西線早稲田駅3Aまたは3B出口から徒歩5分
アクセス:https://www.waseda.jp/culture/about/facilities/
■言語:英語、日本語、日本手話(日英同時通訳・手話通訳付き)
■参加費:無料
■後援:東京都、株式会社WOWOW
■協力:公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会

■プログラム詳細:こちらから

報告書を刊行しました。

第22回ワークショップ 

第22回ワークショップ 2016年12月6日
「イギリスにおけるインクルーシブスポーツの取り組みと実践~2012年ロンドンパラリンピック競技大会における戦略とレガシー」

 「インクルーシブ」という言葉は歴史も古く、特定の社会的マイノリティの人々が社会に参画できていない状況-エクスクルージョンの反対の概念として使われており、日本においては、共生概念というとらえ方が一般的である。東京2020大会開催が決定されて以降、日本における「インクルーシブな社会」の実現が求められるようになる中で、2012年ロンドンパラリンピック大会における「インクルーシブ」な取り組み、戦略が参考になる。

 ロンドン大会では、地域社会におけるインクルーシブの拠点として大きく貢献したのが大学であった。具体的には、障がいの有無にかかわらず、子どもから高齢者まで利用できる図書館の開設、大学施設(体育館など)の開放、大学施設のバリアフリー化などが行われた。また、女性スタッフや中高年の人たちの雇用が積極的に行われ、スポーツ面では、インクルーシブゾーンバスケットボールのように、健常者・障がい者のどちらも同時にプレーできるユニバーサルスポーツの取り組みも行われた。

 さまざまな人、団体がロンドン大会をつくりあげてきた訳だが、特に以下の5つのステークホルダー、①協賛企業、②メディア(チャンネル4・BBC)、③政府・組織委員会、④障がい者スポーツ団体 ⑤障がい者団体らによる戦略が大会成功の大きな鍵を握っていた。これらの団体が組織を超え、統合し、メディア、企業、政府と関わっていくことが大切になってくる。

 2020年東京大会に向け、スポーツへの参画を高めるには、インクルーシブ教育を取り組んでいく必要があり、障がい者・障がいへの理解を深め、インクルーシブ社会を実現していくにあたり、東京パラリンピック大会を大いに活用することができるはずである。

IMG_4364.JPGIMG_4374.JPGワークショップの様子

パラリンピック研究会紀要

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パラリンピック研究会紀要vol.06を公開しました。
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パラリンピック研究会紀要Vol.6

~第6号目次~

研究論文

  • パラリンピックの原点を探って ─主に戦争とパラリンピックとの関連について─ (PDF)

小 倉 和 夫  1
(英文要旨)  9

  • 東南アジア諸国における障がい者スポーツの現状とパラリンピック東京大会に向けた支援の可能性に関する委託調査について(PDF)

昇   亜美子 11
(英文要旨) 13

  • マレーシア連邦における障がい者スポーツを取り巻く現状(PDF)

セリナ・クー 17
(和文要旨) 30

  • インドネシア共和国における障がい者と障がい者スポーツを取り巻く現状(PDF)

當 舍 小百合 31
(英文要旨) 47

  • 国際シンポジウム開催報告
    「アジアにおける障がい者スポーツ」
    「" アダプテッド/ 医療/ 障がい者" 体育・スポーツ合同コングレスin 北海道」・国際企画Ⅰ (PDF)

佐 藤 裕 視 49
(英文要旨) 67

  • 付録(PDF)
    1980年代以降に見られるIOC-IPC の協力関係の変遷   
    Overview of the Summer Olympic Games    
    Overview of the Winter Olympic Games
    Overview of the Summer Paralympic Games
    Overview of the Winter Paralympic Games

                                                  86

 

第20回ワークショップ

第20回ワークショップ 2016年7月28日
「イギリスとオーストラリアにおける障がい者スポーツ競技団体の現状と今後の課題」
(The Current Situation and Future Challenges for National Paralympic Federations)

2020年オリンピック・パラリンピック東京大会の成功のためには、人種、性別、政治的意見などの多様性を認め、調和を進め、大会後も見据えたインクルージョンを促進していく必要がある。 

  障がい者スポーツの分野において優れたモデルとして、オーストラリアとイギリスの2か国が挙げられる。歴史的にも分権的なオーストラリアでは、草の根運動も含め多くの障がい者スポーツ組織において、男女間における包括、健常者と障がい者の間における包括が促進されており、資金調達、組織統括などの様々な面でメインストリーム化が進んでいる。他方、中央集権的なイギリスでは、競技連盟による障がい者スポーツへの参加の機会の提供がなされ、国民による障がい者スポーツへの理解も進んでおり、変化に対応する柔軟性を有している。これらの例が示すように、障がい者スポーツの成功の鍵としては、一貫性があり改善が継続されるガバナンス、組織の連結性、持続性、共有されたアイデンティティ、企業文化等が挙げられよう。 

  障がい者スポーツの展望として、草の根レベルの団体・パラリンピック組織の向かうべき方向性、機械(サイボーグ化)および遺伝子プログラムなどによるトップアスリート創生などの倫理的問題がある。また、ガバナンスマネジメントの判断基準、経済格差によるメダル獲得国の偏り、将来的にパラリンピックが超人的スポーツイベントになる可能性などについて真剣に議論する必要性がさらに強まる。それらを考える上で、科学・技術の進歩、教育・研究のさらなる発展が重要となる。

IMG_4144.JPGワークショップの様子

 

 2016年7月16日北海道岩見沢市において開催された「アダプテッド/医療/障がい者」体育・スポーツ合同コングレスin北海道の国際企画として、「アジアにおける障がい者スポーツ」をテーマに国際シンポジウムを実施しました。

国際シンポジウム開催報告 (紀要第6号抜粋)

パラリンピック研究会紀要

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パラリンピック研究会紀要vol.05を公開しました。
以下のリンクからダウンロードできます。

パラリンピック研究会紀要第5号.pdf

 ~第5号目次~

研究論文

 

  • ドイツにおけるパラリンピック・ムーブメントとオリンピック (pdf)

グドルン・ドルテッパー  1

(和文要旨) 22

  • 2012年ロンドン・パラリンピック大会のレガシーに関する批判的観点からの考察 (pdf)

イアン・ブリテン 23

(和文要旨) 41

  • ブラインドアスリートの発掘と育成に関する現状と課題 (pdf) 

  筑波大学ブラインドパラスポーツ・ミーティング 宮本俊和/河合純一/齊藤まゆみ 43

(英文要旨) 50
 

  • 2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会レガシーとしてのボランティア活動 (pdf)

小 堀   真 53

(英文要旨) 73

  • 障害者スポーツと障害者芸術活動との比較についての一試論 (pdf)

小 倉 和 夫 75

(英文要旨) 81

  • 付録 (pdf) 

    パラリンピック大会一覧Ⅱ

86

  • 執筆者                              

  90

日本財団パラリンピック研究会は、株式会社日本政策投資銀行と共同で「企業による障害者スポーツ支援に関する共同調査 ~インクルーシブな社会を促す企業活動~」を実施し、この度調査レポートを発行しました。

企業による障害者スポーツ支援に関する共同調査-1.jpg

企業による障害者スポーツ支援に関する共同調査.pdf

共同調査は、2020年東京五輪・パラリンピック大会を契機に、障害者と健常者の区別がない「インクルーシブな社会」に向けた長期的な企業活動の拡大・定着を促すことを狙いに、実施されたものです。調査では、企業が取り組む障害者アスリートの雇用や競技団体・大会へのスポンサーシップ等の支援活動、障害者の視点を取り入れた製品・商品開発、販売促進などを展開する国内企業10社(別添1参照)へのヒアリングを実施。企業理念、支援経緯、各施策に関する実績・現状・有効性・課題等を掘り下げることで、多様な施策をプロトタイプとして提示し、障害者スポーツへの支援を検討している企業への参考として供するため、調査レポートにまとめたものです。

TOKYO2020 パラリンピック対談

プロ意識をもってパラリンピックに臨もう

 第8回 廣道純さん プロ車いすレーサー

対談シリーズは動画でもご覧いただけます。(下記リンクから新しいウィンドウで開きます)

バナー第8回廣道純さん.jpg東京MX特設ページ(外部リンク)


■車椅子でもスポーツが楽しめる!

第8回ゲスト廣道さんと一緒に.jpg写真:対談シリーズ第8回 廣道純さん(右)と小倉和夫(左)

小倉 廣道さんは現在日本を代表する車椅子ランナーですが、やはり幼い頃から運動をされていたのですか?

廣道 子どもの頃から、スポーツは何でも得意でしたね。勉強しないで、体育の時間だけ目立つ子どもでした。でも父親が万能のスポーツマンで、何でもできて当たり前と言われて育てられたので、スポーツで褒められた記憶はないですね。

小倉 学校の運動部には入っていたのですか?

廣道 高校では、怪我をする前まで体操部に入っていました。怪我をしたのは高校1年の時です。

小倉 大好きだった運動ができなくなって、かなりショックを受けたのではないですか?

廣道 オートバイで転倒し、歩道の縁石で背中を強打して脊髄を損傷したのですが、気付いた時は病院のベッドの上でした。事故前後の記憶がなく、寝たきりの入院生活が始まりましたが、不思議と絶望感はなく、むしろ命が助かったことへの感謝の気持ちがわいてきました。でも自分の取り柄だったスポーツができなくなってこれからどうしようと思っていたら、リハビリの先生が車いすでもスポーツができると教えてくれたのです。それで、入院中に大阪市の長居障害者スポーツセンターに行きました。

小倉 私も長居のスポーツセンターに行ったことがありますが、あそこは本当に素晴らしい施設ですね。

廣道 初めて行った時に、車椅子で走っている先輩たちがそこにいて、みんな実に楽しそうだったんです。それで、退院したら是非よろしくと彼らに言って病院に戻りました。

小倉 近くに障害者スポーツセンターがあって良かったですね。

廣道 怪我をした当時、もうスポーツの世界には縁がないと思っていました。でも電車で20分の場所にセンターがあったおかげで、もう一度スポーツをする喜びを味わうことができました。そしてそれがきっかけで、あれから25年間ずっと競技を続けてこられたわけです。

_54A3391.jpg写真:プロ車いすレーサー 廣道純さん

小倉 怪我をした人がスポーツを始められる場所があることは、とても重要ですね。

廣道 超高齢化社会を迎え、今後は障害者だけでなく、お年寄りの方々にも必要な施設だと思います。


プロになるための険しい道のり

小倉 廣道さんは、シドニー、アテネ、北京、ロンドンと4回のパラリンピックに出場されています。何か変化はありましたか?

廣道 北京大会から競技レベルが格段に上がったのを感じました。違う次元に入ったと言ったらいいかもしれません。国を挙げて車椅子をこぐフォームを研究したり、専用のトレーニング施設を整備したりして、国の取り組みが競技成績を左右するようになりました。それまでは個人の努力で勝てたのに、国を挙げて取り組んだ強化選手がメダルを取るという図式ができたような気がします。特にロンドン大会ではイギリスが大活躍しましたが、あれはもう完全に国を挙げて取り組んだ成果だと言えます。

小倉 パラリンピックには2つの潮流があると思います。一つは政府が全面的にサポートする流れです。韓国や中国などがそうです。メダルを取ることを奨励し、メダルをとったアスリートには賞金だけでなく、引退後も年金を与えるなどして一生涯面倒を見ます。もう一つはアメリカなどが典型的ですが、障害者スポーツの商業化を進め、プロの障害者アスリートを企業や民間団体がサポートしていくというものです。日本の場合、このどちらでもない。日本はこれからどのような方向に向かっていくべきでしょうか?

_54A3277.jpg

写真:日本財団パラリンピック研究会代表 小倉和夫

廣道 僕は2004年のアテネパラリンピックの年にプロとして独立して、企業とスポンサー契約を結ぶ道を選びました。その当時、日本にはプロの障害者アスリートはいませんでした。だからプロになる道を誰も思い描いていませんでした。でも僕は、自分でプロの世界を作ってしまえば、その後に続く選手も出てくると考えました。

小倉 まさしくパイオニアですね。

廣道 しかし道のりは険しかったですよ。プロになろうと思ってから10年ぐらいかかりましたからね。日本で考えていてもらちが明かないので、渡米して車椅子マラソンの世界記録保持者であるジム・クナーブのもとへ弟子入りしました。そして練習方法だけではなく、プロとしてやっていくにはどんなことが必要かを教えてもらいました。僕の場合、2004年から準備したので多くの企業と何とか契約までこぎ着けましたが、強い選手がみんなプロになれるかと言うと現実的にはかなり厳しいと思います。


大切なセカンドキャリア

小倉 日本財団パラリンピックサポートセンターで、「プロの選手になりたいか?」とアンケートをとったところ、「なりたい」と答えたのはアスリートの3割に過ぎないという結果が出ました。プロを希望する人が少ないのはなぜでしょうか?

廣道 やはり、セカンドキャリアの問題が大きいと思います。障害者アスリートは選手生命が絶たれた時、再就職がとても難しいですから。プロになったはいいが、引退して契約が終了したらどうなるか。考えただけでも恐ろしいことです。

小倉 それはよく分かります。

廣道 現在、引退した後、アスリートとしての経験を活かして次のステップで活躍できる人ってほんの一部です。

小倉 日本では、健常者がコーチや監督を務めるケースが多いことに問題があるのではないですか?

廣道 他の国々では、成績を残した選手が引退してコーチになり、そのコーチが育てた選手が今度またメダルを取るということが普通になっています。車椅子陸上の世界だけでも、アメリカやオーストラリア、フランスやタイのチームなどには車椅子のコーチがいますね。

小倉 廣道さんにはコーチがいるのですか?

廣道 僕自身はセルフコーチングで、自分自身でメニューを組んでこれまでやってきました。でもここ数年限界を感じるようになっています。優秀なコーチがいないと、世界でやっていくのが難しい時代になりつつあります。世界を見渡すと、コーチになる人が高い報酬をもらっています。他の国から呼ばれてヘッドコーチになる例もあります。

小倉 廣道さんは引退後、コーチになろうと思っているのですか?

廣道 現状の知識レベルでは難しいでしょうね。コーチングの勉強を一からやり直さなければ駄目です。若い頃にトレーニングをしながら、コーチングの勉強も同時並行でやっておけば良かったのですが...。

小倉 プロ選手としてやっていくだけでも大変なのはよく分かります。

廣道 競技によっては、大学でコーチングを学びながらアスリートとしてやっている選手もいます。実際、車椅子バスケやウィルチェアラグビーなどは元選手がコーチとしてやっていますね。 

小倉 それは非常にいいことですね。

廣道 健常者コーチで優秀な人はたくさんいますから、健常者と障害者のコーチが一緒になってやっていくのがベストだと思います。


健常者と障害者の関係を考え直す

小倉 東京パラリンピックに向けて、健常者と障害者の関わり方も変わっていくと思いますが、いかがですか?

廣道 障害者の立場で言わせていただくと、障害者を特別扱いすることがよくないと思います。僕もそうですが、怪我で入院するとまず病院で特別扱いされます。先天的に障害を持つ方でも、学校に行った時に特別扱いされる。そうして常に特別扱いされることに慣れてしまうと、周囲に甘えてしまうんです。また、「何かお手伝いしましょうか?」という声に対して、「結構です」ってなかなか言いづらくて、我慢して受けてしまう。手伝った方も感謝されて良かったと思いますから、相互の関係がどんどん悪い方へいってしまいます。

小倉 健常者と障害者の関係を考える上で、それは鋭いご指摘ですね。

_54A3410.jpg写真:対談の様子

廣道 アメリカの大会に行った時に、競技用の車椅子でホテルに戻る坂道を登っていった時に面白い体験をしました。登るのにかなりしんどい坂だったのですが、なんとか頑張って登っていたら、片側3車線の広い道路の反対側から、アメリカ人が「何か手伝おうか」と叫んでいるんですよ。手伝うにしても一体どうやって手伝ってくれるのだろうと思ったのですが、取りあえず「ノー・サンキュー」と大声で答えたら、「オーケー、グッドラック!」と言って行ってしまったんです。遠くからでも助けようと声をかけてくれて、それに対して断ったら何事もなかったように立ち去るのが普通のことなのですね。日本だと「いいえ、結構です」と言うのに本当に勇気がいります。その後気まずい雰囲気になったりするのも嫌ですし。

小倉 電車の中でお年寄りに席を譲る時も、同じような雰囲気になる時ってありますね。

廣道 日本でも、断ってもお互いに気持ちよくいられるようなムードになれるといいのですが...。

小倉 今後健常者と障害者が接する機会がもっと増えてくると、自ずと変わってくるのではないでしょうか?

廣道 障害者の方も変わらないと駄目ですね。障害があるから手伝ってもらおうと思うのではなくて、自分でできることは自分ですべきです。でも助けが必要な時は、勇気を持って「手伝って下さい」と言う。そうした毅然とした障害者が増えれば、障害者に対する見方も変わってくると思います。そのためにも障害者自身、理学療法士やリハビリの先生など、身近に接する健常者との関わり方からまず考え直していくべきでしょうね。


障害者アスリートが与えるインパクト

小倉 廣道さんは、一般の障害者からするとまさにスーパーマンのような存在だと思います。障害者アスリートの活躍をみて、一般の障害者の方が何かスポーツを始めようという気持ちになるのでしょうか?

廣道 僕が車椅子マラソンを始めた頃は、2時間を切れば速いと言われる時代でした。2時間の壁というのは時速21キロぐらいで、努力すればなんとか目指せるタイムでした。それが現在の優勝タイムは1時間20分台になっています。僕のレベルでもそれは想像を絶するタイムです。そのタイムを出さないと世界ではやっていけない時代になっています。

小倉 障害者スポーツのレベルがどんどん高くなっているのですね。

廣道 そうです。しかしこれは健常者のプロスポーツでも同じです。プロ野球選手やJリーガーを目指している子どもたちはたくさんいると思いますが、実際になれる人はほんのわずかです。だから、パラリンピックも本当に選ばれた人たちだけが活躍できる世界で、それは仕方ないと思います。

_54A3246.jpg写真:パラリンピックについて話す廣道さん

小倉 しかしその頂点の世界があるからこそ、そこを目指してみんな頑張るわけですよね。

廣道 そうなんです。だから、それを目指して頑張ったけれど夢がかなわなかったということでも別に構わない。その努力が次の人生につながっていけばいいわけです。そうして頑張った姿がスポーツとは無縁の障害者にも勇気を与えるのだと思います。

小倉 パラリンピックの効果は、障害者の方よりも、健常者に対する影響力の方がむしろ大きいと私は思います。障害を持つアスリートのすばらしい姿に打たれて、自分は一体何をやっているんだ、自分ももっと頑張れるはずだという気持ちになります。

廣道 間違いなく僕たちの方が、条件が悪いですから(笑)。だから僕はオリンピック選手にも絶対に負けないぞと思ってとずっとやってきました。海外に行くにもチケットを自分で手配して、通訳を連れていく余裕もないから英語も自分で勉強して、すべて自分でやってきました。

小倉 フィールド外でもさまざまなハンディキャップを乗り越えて、みなさん頑張っておられるのですね。


パラリンピックを盛り上げるためのアイデア

小倉 前回対談させていただいた乙武さんは、オリンピックとパラリンピックの合同開催を提案されているのですが、今度の東京パラリンピックに関して、廣道さんは何かアイデアをお持ちですか?

廣道 合同開催に関しては僕も賛成です。ただしすべての競技種目を同時に行うのは、開催期間が長くなってしまうので難しいと思います。オリンピック選手をそれだけ長く拘束することは不可能ですから。

小倉 現実的にはいろいろと難しい問題があるのは確かですね。 

廣道 でも僕たちパラリンピアンからすれば、やはり同時開催が理想です。かつて世界陸上で、車椅子レースの1500メートル走や切断クラスの100メートル走などのエキジビションが行われていたことがあります。世界のトップクラスの選手たちが、自分たちの競技の合間に障害者ランナーのレースに見入っていました。僕も大阪で行われた世界陸上選手権での車椅子レースに出場しましたが、超満員の長居スタジアム(現 ヤンマースタジアム長居)の大観衆の前でレースができたのが感動的でした。

小倉 実にいい風景ですね。どうしてそれが今はなくなってしまったのですか?

_54A3268.jpg写真:身ぶり手ぶりをまじえながら

廣道 世界陸上が4年に一度だったのが2年に一度になり、世界陸上がある時期とIPC(国際パラリンピック委員会)の陸上競技世界選手権大会とが重なってしまい、同時開催が難しくなってしまったようです。

小倉 それはとても残念なことですね。

廣道 もう一つ考えられるのは、オリンピックの前にパラリンピックを開催することです。オリンピックで熱狂して、その熱が冷めた2週間後にパラリンピックが始まる今のスタイルでは盛り上がりに欠けるのは確かです。報道熱も下火になってしまっていますし。パラリンピックを見て、そのままオリンピックに突入するのもいいのではないかと思います。僕らはオリンピックの前座でいいのです。多くの人に見ていただければ、レベルの高いパフォーマンスを通して、障害者スポーツの面白さや迫力をダイレクトに伝えられると思います。

小倉 なるほど。ただしロンドン大会の場合は、パラリンピックがあれだけ成功を収めた理由の一つは、オリンピックでイギリスの選手が大活躍したので非常に盛り上がって、その熱気がパラリンピックを成功に導いたと言われています。ですから、そのあたりの判断は実に難しいですね。


 ■プロ化が求められる日本の障害者スポーツ界

小倉 2020年に向けて、やらなければならないことがたくさんあると思います。その一つは競技団体の強化だと思いますが、いかがですか?

廣道 今まで競技団体の活動はスタッフのみなさんが仕事をもちながらボランティア的にやるというパターンが多かったと思います。どちらかと言うとアマチュア的でした。今までそれは本当に仕方なかったのです。でも選手のプロ化が進んで選手自身を取り巻く環境がシビアになって、広報にしても税務にしても業務が複雑化して、スタッフに求められることのハードルがどんどん高くなっています。

小倉 スタッフが選手以上に知識をもって専門化していかなくてはならない時代になったのですね。

廣道 今後、競技団体スタッフがプロ意識を持つことは必要だと思います。「日本財団パラリンピックサポートセンター」という競技団体を支援する体制を整えていただいたのですから、こうした環境に甘んじるのではなく、これから先自分たちにとって何が必要なのか、積極的に戦略を立てていくべきです。そのために必要なのは、選手とスタッフが積極的に意見交換をしていくことだと思います。

小倉 これまではどちらかと言うと多くの選手は遠慮がちでしたからね。パラリンピックに向けて障害者スポーツを取り巻く環境を変えていくためにも、選手側の考え方をさらに反映させていかなくてはなりませんね。

廣道 パラリンピックは、北京大会以降、急激にプロ化にシフトしました。それは選手だけではなく、コーチや競技団体も同様です。政府や企業など社会全体を巻き込んで考えていかないと、金メダルが取れない時代になったということです。東京大会ではこの傾向がもっと顕著になると思います。

小倉 私たちパラリンピックサポートセンターでもそうした流れを踏まえ、今後さまざまな側面支援をさせていただきたいと思っております。お互い協力しながら、東京大会を盛り上げていきましょう。

 _54A3522.jpg

写真:対談を終えて


【Profile】

廣道さんプロフィールフォト.jpg廣道純 プロ車いすレーサー。1973年生まれ。1989年、16歳の時、バイク事故による脊椎損傷で車椅子生活になる。17歳で車椅子レースの世界へ。96年、大分国際車いすマラソンで総合2位。2000年、シドニーパラリンピック800メートルで銀メダル、04年、日本人初のプロアスリートになり、アテネパラリンピック800メートルで銅メダルを獲得。現在、世界各地のレースに出場しながら、講演会なども積極的に行なっている。

 

小倉プロフィールフォト.jpg小倉和夫 日本財団パラリンピック研究会代表および日本財団パラリンピックサポートセンター理事長。1938年生まれ。外務審議官、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長などを歴任。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致では評議会事務総長を務める。青山学院大学特別招聘教授。

 

日本財団パラリンピック研究会紀要

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日本財団パラリンピック研究会紀要vol.04を公開しました。
以下のリンクからダウンロードできます。

日本財団パラリンピック研究会紀要Vol.4.pdf

 ~第4号目次~

 研究論文

  • パラリンピックの政治,経済,社会及び文化的意義(pdf                                                         

小倉和夫                1

(英文) 19

  • パラリンピックのレガシー:2020年東京大会に向けて 2000年シドニー大会から学ぶべきもの(pdf  

サイモン・ダーシー              43

(和文)要旨 64

  • 国際障害者権利保障制度と日本による国際協力の結節─アジア太平洋障害者支援センター(APCD)設立を焦点として(pdf)                         

佐藤 裕視             65

(英文要旨) 87

  • タイの障害者および障害者スポーツの状況(pdf

吉村 千恵     91

(英文要旨) 107

  • ベトナムにおける障害者スポーツの現状(pdf

森 絵里咲       109

(英文要旨) 115

  • 日本による障害者スポーツをめぐる国際協力に向けて(pdf

昇 亜美子       117

(英文要旨) 139

  • パラリンピック・スポンサーシップの動向(pdf

ミョン セヒ       141

(英文要旨) 149

  • パラリンピックにおけるドーピングに関する一考察(pdf

遠藤 華英       151

(英文要旨) 158

  • 執筆者

    160

TOKYO2020 パラリンピック対談

パラリンピックをなくしたい!?

第7回 乙武洋匡さん 作家

対談シリーズは動画でもご覧いただけます。(下記リンクから新しいウィンドウで開きます)

バナー第7回乙武洋匡 (1).jpg

東京MX特設ページ(外部リンク)


■車椅子バスケの可能性

乙武_01.jpg写真:対談シリーズ第7回 乙武洋匡さん(右)と小倉和夫(左)

小倉 乙武さんは、スポーツライターとしてご活躍されていた時期もあります。スポーツに情熱を傾けるようになったきっかけは何ですか?

乙武 父がプロ野球の大ファンで、一緒にリビングで観戦するのがすごく楽しくて、スポーツを見るのが好きになりました。それから、こういう体でありながら体を動かすことが非常に好きだったんです。小学校の休み時間に友だちと一緒にサッカーやドッヂボールをやったりして、スポーツを楽しんでいました。

小倉 いずれも激しい運動ですね。

乙武 はい。車椅子から降りて、この短い足でボールを蹴ったり、この短い腕でボールを投げたりができるにはできるのですが、みんなと同じというわけにもいきません。それで友だちが、私が入っても一緒にプレイできるような特別のルールを考えてくれまして、実際に体を動かしてスポーツを楽しめるようになりました。

小倉 中でもバスケットボールには熱中したということですが、何か理由があったのですか?

乙武 中学生になって仲の良かった友人がみんなバスケ部に入るというので、それじゃ自分もやってみようというノリで入ったんです。ですから、実際に手足の不自由な自分がどうやってバスケをするのかは正直考えていませんでした。いざバスケ部に入部してみて、さてどうしようかといった感じでした。私みたいな者が入部して顧問の先生もお困りになったと思います。でも車椅子から降りて、ドリブルやパスを一生懸命練習しているうちに、だんだん認められるようになって試合にも出させていただけるようになりました。

乙武_02.jpg写真:作家 乙武洋匡さん

小倉 現在、車椅子に乗ったままでプレイする車椅子バスケットが注目を集めていますね。

乙武 車椅子バスケは非常にエキサイティングなスポーツだと思いますよ。

小倉 普通のバスケットの試合並みに人気があるそうで、車椅子バスケットという新しいスポーツだと言う人もいますね。

乙武 プロスポーツ化している国もありますからね。

小倉 健常者も一緒に楽しめるところも魅力ですね。

乙武 実際に大学でも、健常者による車椅子バスケットのサークルが誕生していますからね。まさしくユニバーサル・スポーツです。障害者と健常者が一緒に参加できるスポーツが増えてくるというのは、社会全体にとっても非常にいいことだと思います。


 プロ化する障害者スポーツ

小倉 障害者スポーツの競技能力が高まり、プロスポーツ化している競技も増えています。しかしその反面、例えばボッチャなど、普及しにくい競技があるのも事実です。車椅子バスケットやウィルチェアラグビーなどは動きが激しくエキサイティングなので大いに盛り上げていこうという流れがある一方で、そうではない競技にももっと光を当てるべきだという意見もあります。

乙武 すべてのマイナースポーツに脚光が当たって、どのスポーツも人気がでるというのがもちろん理想ではあるのですが、正直な所、多くの人々を魅了する競技と、深く理解した上でないとその魅力が伝わりにくい競技とに分かれてくると思うんです。現段階では、パラリンピック競技の中で、一般受けしそうなものを先行的に売り出していくというのが現実的かなと思います。

小倉 1964年に東京でパラリンピックが開催された時には、日本人の参加者にはスポーツの経験がほとんどない人が少なくありませんでした。大半が数ヵ月前から練習を始めたそうです。まさに参加することに意義があった時代です。それが最近では、パラリンピックのオリンピック化が進んでいます。そこには、記録主義、金メダル主義も含まれます。しかしパラリンピックはそれでいいのでしょうか?

乙武_03.jpg

写真:日本財団パラリンピック研究会代表 小倉和夫

乙武 私はやはり時代の変遷という観点から考えるべきだと思います。オリンピックとパラリンピックはそもそもの成り立ちが違うわけですから、それぞれ理念が異なるスタートだったのは当然です。パラリンピックはリハビリテーションの一環から始まったもので障害者の社会参加といった意味合いが強かったのですが、ここ数年でそれも変わりつつあります。私は、パラリンピックも「より速く、より強く」を目指していい時代になったのではないかと思います。逆にそうした理想を目指せる環境を整えていくことが、社会の成熟につながっていくのではないかと。


難しい障害者同士のコミュニケーション

小倉 健常者と障害者のバリアをなくしていくことは今後進めていくべきだと思いますが、障害者の間のバリアというのも実は大きな問題ではないでしょうか? 視覚障害者や聴覚障害者、知的障害者がそれぞれに横の連絡をとるのはなかなか難しいようです。障害者スポーツも同じで、他の障害の選手たちと連絡を取り合うことはあまり行われていないようです。そうしたコミュニケーション不足が、日本の障害者政策を進める上での一つのネックになっているという方もいます。

乙武 障害者同士もっと交流があっていいと思います。と言うのは、障害者の中にもいろいろな方がいらっしゃるからです。私のようにすでに自分の障害を受容して、その中で自分らしさを考えながら人生を歩んでいる人間もいれば、なかなかご自身の障害を受け入れることができず、どうして自分だけがこんな境遇にいるんだという精神状態にある方もいらっしゃいます。

小倉 後者の方が多いかもしれませんね。

乙武 そうした人々が交流することで新たな気付きや発見があるかもしれません。自分とは異なる種類の障害を持った方と触れあうことで、自分はこれだけ大変だと思っていたけれど、違う大変さを抱えている人がたくさんいることが分かってきます。大変なのは自分だけじゃないのだという事実に気付くことで、人生に対して前向きになれます。

小倉 それは大いに力づけられるでしょうね。  

乙武 ただしパラリンピアンに関して言えば、もうすでに自分の障害を受容されて、自分らしさを大切にしなから前向きに進んでいる方々ばかりなので、異なる障害の方々とコミュニケーションを図ることの意味合いは多少薄まるとは思うんですね。でもせっかく同じパラリンピック大会に出場しているのですから、障害の種類や国境を越えて選手同士が出会うことで、さまざまな化学反応が生まれる可能性はあります。そうした意味では、何か素敵なつながりが生まれると思いますよ。


進化する義足が投げかける問題

乙武 最近、障害者アスリートと義足の関係に興味があります。本来歩行や跳躍を補助するはずの存在なのに、あまりにも進化のスピードが速くて、健常者の機能を凌駕(りょうが)しつつあります。これをどう捉えていくべきなのか。国民的な議論を越えて、国際的な議論が必要な段階に入っていると思います。

小倉 おっしゃる通りですね。おおげさな言い方ではなく、人類全体にとって大きな問題だと思います。人間観と言いますか、人間がどういう存在なのかということにも関連しますから。現在では、義足はもちろん義手もだんだん進化してきました。ある種の着物的な感覚、ちょっと羽織るような存在で、脳波からの伝達で普通の手足のように自由自在に動かせるようなものもできつつあるようです。そうなってくると、普通の人間の腕や足よりももっと優秀な働きをするようになります。

乙武 サイボーグはすでにSFではなくなっていますからね。

小倉 現にオスカー・ピストリウスのように、健常者をもしのぐような記録を出す障害者アスリートも出てきていますからね。技術の進歩によって障害を克服し、さらに健常者よりも優れた結果を生み出すようになった時、障害者という存在をどう捉えていくべきなのでしょうか?

乙武 義足で走る場合、片足だけの義足よりも両足の義足の方がバランス的にはいいので、タイムが伸びると言われています。義足ランナーの本音として、障害のない方の足も切り落として両足義足にしたいと思っている人もいるようです。それが倫理的に許されるかどうかは置くとして、ウサイン・ボルトよりも速く走れることが判明した場合、健常者であっても両足を切断し義足をつけて、人類最速のランナーを目指すという人が出てくる可能性は否定できません。人間の欲望というのは限りないですから。


障害者の心のバリアフリーも大切

小倉 バリアフリーに関して、今後どんな点を改善していくべきだとお考えですか?

乙武_04.jpg写真:対談の様子

乙武 私が『五体不満足』という本を出させていただいたのが1998年で、今から18年前になります。当時は現在のようにバリアフリーという言葉も浸透していませんでしたし、実際に車椅子で快適に生活できるかというとかなり難しい部分が多かったです。だだし、15年ぐらい前から、だいぶ変わってきました。新たに完成した公共施設に関しては、エレベーターもついているし、多目的トイレも完備していて、非常に快適に過ごせるようになってきています。問題はやはりそれ以前に建てられたビルや公共施設のバリアフリーをどうするかという問題です。一つには改修ということも考えられるのですが、構造上改修工事が不可能な場合、やはり人的に補助していくしかないと思います。いずれにしても今後はパラリンピックもあることですから、バリアフリーをさらに意識して街づくりを行っていくべきでしょうね。

小倉 そうしたバリアフリーとともに心のバリアフリーも今後一層進めていくべきだと思います。その際に健常者の意識を変えていくことはもちろん重要なのですが、障害者の側の心のバリアフリーも大切ではないかと思うのですが、いかがですか?

乙武 おっしゃる通りです。障害者の心のバリアフリーに関しては、教育に非常に重要な鍵が隠されていると思います。障害があるという理由だけで学ぶ環境を分けられ、障害者自身が「自分は健常者よりも下の存在なんだ」と卑下したり、自己否定したりというケースが少なくありません。逆に健常者と同じ環境で勉強したことによって、いじめを受けて余計に自己否定してしまうということもあり得ます。一概にどちらがいいとは言えませんが、いずれにしても、健常者とどんな形で関わりをもつのかが非常に大きなポイントになると思います。


■選択肢を整えて同じスタートラインを

小倉 乙武さんは最初から普通学級に入られて、ご両親からも特別扱いされずにやってこられましたよね。最初から自立しようという意思があった。これは非常に大事なポイントだと思います。と言いますのは、日本社会全般に、学校の先生や企業に責任を押しつけるなど、他者に責任転嫁して自己責任を取らないという傾向が強いと思うのです。乙武さんのように障害をお持ちになりながら自立されている方がその存在を社会に示していくことが、日本を変える上で大きな力になると思うのですが、いかがですか?

乙武 ありがとうございます。私はスタートラインをきっちりと揃えることが大事だと思っています。やはり健常者と障害者では、与えられている選択肢の数が圧倒的に違うわけです。そうした状況で、同じテーブルについて勝負しろと言われても、これはフェアじゃない。やはり障害者にもきちんと選択肢が与えられて、健常者と同じスタートラインに立って勝負できる環境を整えるべきなんです。ただし、同じスタートラインに立ったら、あとはよーいドンでスタートして、それからは努力した人が、障害のあるなしにかかわらず、上に行き、活躍できるというのが健全な社会のあり方だと思います。

乙武_05.jpg写真:乙武さんの著書「五体不満足」

小倉 選択肢ということに関して、障害者アスリートの場合、セカンドキャリアが本当に限られています。日本では、企業に勤めながら選手として活躍し、選手生活が終わった後もそのまま同じ企業で働くというパターンが多いようです。それに対して、例えばアメリカなどでは、企業に属するというよりも、プロとして独立し、選手生活を終えた後は、プロのコーチなり監督、あるいは学校の先生になるなどさまざまな道が開かれています。企業から支援は受けますが、別に雇用されているわけではない。こうした障害者アスリートのプロ化を進めていかなくては、これから日本が金メダルを取ることは難しくなるという声があちこちから聞こえてきます。

乙武 雇用されていると自分の身分が保障されているわけですから、どうしても甘えが出てきます。「試合で結果を出さないと自分はメシが食えない」というプロ意識で自分を追い込んでいってこそ、世界的な記録が狙えるわけです。ですから世界での戦いに日本が勝ち残っていくためには、プロ化を進めていく方がいい。そしてプロとして結果を出して、引退後の道を切り開いていく。しかし現在の状況では、プロとしての選択肢はほとんどありません。健常者のアスリートなら、企業に雇用されてやっていく道もあれば、プロになる道もあるというように選択肢がありますが、障害者のアスリートにはそうした選択の余地がほとんどありません。今後は、プロになりたい障害者アスリートがそれを選ぶことのできる土壌を作っていくことが大切です。

小倉 障害者の選択肢の数を増やし、健常者とスタートラインを揃えていくためにはどうしたらいいのか? 今度の東京大会を契機に、スポーツの世界だけでなく、社会全体でいろいろと考えていくべきでしょうね。


2020年東京パラリンピックで新たな歴史を

小倉 2020年の東京オリンピック・パラリンピックにどんなことを期待しますか?

乙武 私自身は、以前からずっと将来的にはパラリンピックをなくしたいというふうに思っています。ただそれは障害者アスリートの活躍の場を奪いたいと思っているのでは全くなく、オリンピックとパラリンピックを統合して一つの大会にしたいと考えているのです。ただこういう話をすると、同じ競技を健常者と障害者が一緒にやったら、健常者が勝つに決まっていて勝負にならないと言う人がいます。しかしそうではなくて、例えば柔道やレスリングですと、体重によって階級が分かれていますよね。それと同じで、同じ競技でも階級や種目を分ければいいと思っているのです。陸上の100メートル走を例にとると、ウサイン・ボルト選手が出場するような健常者の部もあれば、車椅子ランナーや視覚障害者ランナー、義足ランナーの部もあるというように種目を分けるのです。一つの大会で健常者と障害者が同じ競技のいろいろな種目を行うという考え方です。 

乙武_06.jpg写真:対談の様子

小倉 なるほど、それは面白い着想ですね。

乙武 ただ現実問題として、今でもオリンピックが商業化に舵を切って大会自体が肥大化し規模が大きすぎると批判されているのに、そこにパラリンピックまで加わるとなると、一体どの都市で開催が可能なんだということにもなりかねません。ましてや2020年に間に合うのかといえばそれは無理だと思います。しかし将来的に統合がなされた時に、その先鞭をつけたのが2020年の東京大会だったと言われたいのです。

小倉 具体的にプランは何かお持ちですか?

乙武 現状ではオリンピックが終わり、パラリンピックが開催されるまでの2週間ほどの期間に、何か一つの競技だけでも共同開催できないかと思っています。東京マラソンでは同時開催を毎年やっていますから、決して不可能ではないと思います。いろいろな調整ごとはあるにせよ、もし実現すれば、オリンピックとパラリンピックの融合に向けて一条の光が見えてくるのではないかと思って、あちこちで提案させていただいています。

小倉 それは大変貴重なご提案だと思います。1960年にローマで開催された最初のパラリンピックは脊椎損傷の障害者だけの大会だったのです。それに対して、1964年に東京で開催するに当たって、視覚障害者や聴覚障害者などさまざまな障害者が参加する大会にしたいと日本は主張したのです。

乙武 それが今のスタイルのパラリンピックにつながっているのですね?

小倉 そうなのです。当時は国際的主催団体の反対があってすんなりといかなかったので、第一部は脊椎損傷の障害者の大会、第二部はそれ以外の障害を持つ人を含む大会ということにしたのです。その時に西ドイツが日本の趣旨に賛同して、参加してくれました。それが一つの契機となって、現在のようなパラリンピックにつながっていったのです。

乙武 同じように、このアイデアが実現して、今度の東京大会がオリンピックとパラリンピックを融合するような動きの第一歩となることを願ってやみません。

小倉 オリンピックとパラリンピックの融合は乙武さんが言われるようになかなか実現が難しいのは確かです。でもそこから一歩踏み出すことが出来れば、それだけでも今度の東京パラリンピックの意義は十分にあると思います。

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写真:対談を終えて


【Profile】

プロフィールph_高解像度版.jpg乙武洋匡 作家。1976年生まれ。大学在学中に出版した『五体不満足』がベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、杉並区立杉並第四小学校教諭を経て、2013年2月には東京都教育委員に就任。教員時代の経験をもとに書いた初の小説『だいじょうぶ3組』は映画化された。おもな著書に『自分を愛する力』、『オトことば。』、『オトタケ先生の3つの授業』など。



小倉プロフィールフォト.jpg小倉和夫 日本財団パラリンピック研究会代表。1938年生まれ。外務審議官、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長などを歴任。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致では評議会事務総長を務める。青山学院大学特別招聘教授。