「(」と一致するもの

第17回ワークショップ

第17回 2016年1月8日

「ドイツにおけるパラリンピック・ムーブメントとオリンピック」

 2006年にドイツスポーツ連盟とドイツ・オリンピック委員会が合併して創設されたドイツオリンピックスポーツ連盟(DOSB)と障害者スポーツ団体、特にドイツ障害者スポーツ連盟との関係を中心に説明する。

 両組織はオリンピック・パラリンピック招致の準備をはじめとしてさまざまなプログラムやプロジェクトに協力して取り組んでいる。また、「インクルージョン」(包摂)がスポーツにおける数々の取り組みのキーワードになっている。DOSBの加盟組織全98団体の協力の下、重要な文書が作成・承認されている。

 「ドイツ・スポーツバッジ」と呼ばれるスポーツ競技大会の仕組みも、両組織間の協力の一例である。すべての年齢、ジェンダーおよび障害の人々が参加できる形で改変を重ねてきており、障害者と健常者が一緒に参加するスポーツイベントが数多く実施されている。

第16回ワークショップ

第16回 2015年12月17日

「障害者陸上競技における強化と育成〜ガイドコーチの視点を含めて〜」

 陸上競技の現役時代を通じて学んだのは、1.競技を突き詰めること、2.孤独に強くなること、3.人の嫌がる時こそチャンス、であり、これはつまり「継続(信)は力なり」ということである。

 1996年アトランタパラリンピック競技大会に視覚障害者マラソンの伴走者として突如参加することになるが、その大会で金メダルを獲得する。その後2000年シドニーパラリンピック競技大会、2004年アテネパラリンピック競技大会と、3大会連続で伴走者として参加した。2008年北京パラリンピック競技大会では惨敗に終わるという苦い経験を味わったが、その後強化に努め、2012年ロンドンパラリンピック競技大会ではメダルの獲得をはじめ、参加選手全員が入賞という好成績を収めた。

 コーチは現役選手に寄り添う存在として必要であり、それはブラインドランナーにも同様のことが言える。コーチに必要な要素を挙げるとすれば、1.洞察力、2.現場力、3.行動力、になるだろう。

 障害者アスリートやチームの強化・育成のポイントとして、1.意識改革、2.自己記録更新、3.チーム力向上、が挙げられる。障害者競技団体には、国際大会、クラス分け、競技の専門ルールなどといった様々な知識を選手が十分に理解できるようサポートをすることが求められる。
 企業や教育現場、地域などといった社会的な土壌における理解と支援も、重要である。

日本財団パラリンピック研究会は、青山学院大学社会連携機構国際交流共同研究センターとの共催で以下の国際シンポジウムを開催しました。

開催概要

■テーマ:「スポーツを通じた多文化共生の未来に向けて」~オリンピック・パラリンピックと多文化共生~
■日時:2016年1月9日 (土) 13:00 ~ 18:00 (受付開始12:30)
■会場:青山学院大学総研ビル12階大会議室 (〒150-8366東京都渋谷区渋谷4丁目4番25号)
■言語:英語、日本語(同時通訳付き)
■プログラム詳細:こちら

■お問い合わせ先
日本財団パラリンピック研究会
〒107-0052 東京都港区赤坂1-3-5 赤坂アビタシオンビル4階
Tel:03-5545-5991(平日9:00-17:00、12月28日~1月4日を除く)

報告書を刊行しました。

TOKYO2020 パラリンピック対談

パラリンピックに向けて心の復興を図る

第6回 浮島とも子さん 衆議院議員

対談シリーズは動画でもご覧いただけます。(下記リンクから新しいウィンドウで開きます)

バナー第6回浮島とも子.jpg

東京MX特設ページ(外部リンク)


■思いやりの心を育てる

浮島とも子さんと小倉和夫

写真:対談シリーズ第6回 浮島とも子さん(右)と小倉和夫(左)

小倉 浮島先生が社会活動に関心をお持ちになったきっかけは何ですか?

浮島 私は2歳半からクラッシックバレエを始め、19歳から香港やアメリカのバレエ団に籍を置いて舞台活動をしておりました。32歳の時に、阪神淡路大震災をニューヨークの自宅で知り、「自分に何かできないか」という思いに駆られ13年ぶりに帰国しました。そして神戸でボランティア活動をしながら、目の前でご両親を亡くした中学生や仮設住宅に暮らしている方たちと接しているうちに、「心の復興」がとても重要だと気付きました。お金を出せばビルは再建されますが、目に見えない心の傷はいつまでも癒やされないかもしれない。それなら、私はもう一つの復興に取り組んでいこう、それがより良い社会を作っていく上で大切じゃないかと思うようになりました。

浮島とも子さん

写真:衆議院議員 浮島とも子さん

小倉 心の復興というのは、実は日本のオリンピックの原点でもあります。1940年の東京オリンピック開催を日本が言い出した時、その原点は関東大震災からの復興でした。それには物理的な意味だけでなく、精神的な復興もあったと思います。この大会は日中戦争の影響で幻のオリンピックとなってしまいましたが、1964年の東京オリンピックもやはり戦後の復興という意味でその延長線上にあったと言えます。2020年東京オリンピック・パラリンピックも東日本大震災の復興の延長線上にあると言えるでしょう。今度の東京オリンピック・パラリンピックに浮島先生は何を期待されますか?

浮島 阪神淡路大震災で精神的な打撃を受けた人々に芸術活動を通して夢と希望を与えるために作った「劇団『夢』サーカス」を今も続けているのですが、最近の子どもたちを見ていると、スマートフォンやゲームなどに夢中になって、人と触れ合う機会がどんどんなくなっているような気がします。多くの人と会って目を見て話をして、いろんなことを学びとっていくということが少なくなっています。すぐキレたりして、子どもたちが本当の心の大切さを見失っているような気がするのです。私たちがこれまで持っていた優しさや思いやりの心を考え直す意味で、2020年の東京パラリンピックはとてもいいきっかけになると思っています。

小倉 思いやりの心をもった子どもたちも多いと思うのですが、それをどう表現していいのか分からないという事があるかもしれませんね。

浮島 思いやりの気持ちを素直に出していけるような社会にしていくことは、子どもたちだけでなく大切なことだと思います。2020年の東京パラリンピックがそうした意識変革への起爆剤になることを期待したいですね。


■子供たちが社会意識を変えていく

小倉 超高齢社会を迎えた日本において、思いやりをもった社会へと意識改革を進める上でパラリンピックには大きな意味があります。高齢者は大なり小なり障害を持つものだと言う人もいますが、そういった意味でこれからの日本は障害者が増える社会とも言えます。パラリンピックを機に、障害者、高齢者を問わず、そうした人々とのコミュニケーションを進めていくことができれば日本はもっと暮らしやすい社会になるでしょうね。

パラリンピック研究会代表 小倉和夫

写真:日本財団パラリンピック研究会代表 小倉和夫

浮島 インクルーシブな社会を目指すべきだと思うのですが、厳しい現実があるのも確かです。先日車椅子スキーのパラリンピアン、大日方(おびなた)邦子さんと対談をする機会があったのですが、実にショッキングな話を聞きました。彼女が新幹線に乗った時のことです。自分の車椅子を車両後方のスーツケースなどを置くスペースに置こうとした時、後ろからその車椅子をどかせと言われたそうです。

小倉 なぜですか?

浮島 大日方さんも意味がよく分からず、えっと思って振り返ったら、ベビーバギーを持った男性がここは自分の場所だと言い張るのだそうです。

小倉 それはひどい話ですね。

浮島 高齢者の方と駅のエレベーターに乗ろうとした時に、私も同じような経験をしたことがあります。やはりベビーバギーを持った子連れの若い男性が、年寄りは歩けるのだから歩け、歩ける人間はエレベーターを使うなというのです。その時に痛感したのは、そう思い込んでいる人にいくら言っても理解してもらえないということです。ある意味、親に教育しても遅いのかもしれません。そんな親に育てられたら子供たちこそいい迷惑です。しかしそれではまずいので、逆に子供を教育して、親に言ってもらう。いわゆるリバースエデュケーションです。親がそういう思いやりのない行為をした時に、「お父さん、それはおかしいよ」って子どもが逆に注意する。

小倉 そのためにも子どもたちへの教育は必要ですね。

浮島 今度の東京パラリンピックは、そうした機運を高めていくための絶好のチャンスかもしれないですね。


学習指導要領にパラリンピックを入れる

小倉 今後、障害者スポーツの振興を図る上で、ポイントが二つあると思います。一つは、障害者の競技団体の強化。もう一つは、どんな風にして選手を発掘し育成していくかです。

浮島 競技団体の強化に関しては、日本財団に「日本財団パラリンピックサポートセンター」を作っていただきました。障害者スポーツの世界にあってこれは画期的なことです。「2020東京オリンピック・パラリンピックを成功させる議員連盟」の一員として、ものすごくありがたいことだと思っています。小倉様が理事長になられたわけですから、こちらの方は安心してお任せできます。将来のパラリンピアンの育成に関しても、とても大事なことだと思います。

みぶりをまじえて話す浮島さん

写真:身ぶりをまじえて説明する浮島さん

小倉 将来のパラリンピアンがどこにいるかというと、小学校や中学校、特別支援学校などにいるわけです。しかし問題なのは、現場の先生方が障害者スポーツをあまり理解していない場合が多いことです。もちろん熱心な方もいらっしゃいますが、まだまだ少数派です。

浮島 先生に理解力がないと、発掘して育てるのは難しいですね。

小倉 ところが現在、そういった障害者スポーツの課程は教員資格の必修科目になっていないわけです。少なくとも体育の教師には、障害者スポーツの教育について学んでもらいたいものです。同時に理学療法士や作業療法士といった資格を取得する際にも、障害者スポーツに関する講義の受講が必須要件になるような時代にならないといけないと思います。
浮島 おっしゃる通りです。私も不勉強で、これまで学習指導要領の中にパラリンピックという文字が入っていなかったのを知りませんでした。今回気付きまして、次の改訂の時にパラリンピックの文字を入れていただくように、国会で質問させていただきました。それで今度の指導要領の中にはパラリンピックという文字が入ることになったのです。

小倉 新聞にも出ていましたね。

浮島 やはり学校の教師が障害者スポーツに関して、しっかりとした知識をもった上で子どもたちに接してもらうことが、これから非常に大切だと思います。


車椅子ダンスが与える感動

小倉 バレエというのは芸術活動であるのはもちろんですが、スポーツの要素も備えていると思います。

浮島 ちょうどスポーツと芸術の真ん中ぐらい(笑)。身体はアスリートですから。

小倉 パラリンピックは障害者スポーツの祭典であると同時に、障害者芸術の祭典でもあります。パラリンピックを成功させるためには、障害者のスポーツと芸術の関係を考えていくことも必要になってきます。

浮島 なるほど、それは面白いご指摘ですね。

みぶりをまじえて話す小倉代表

写真:説明する小倉代表

小倉 障害を克服するのが障害者スポーツの本質であると思います。心身を鍛え障害を克服し、次なる高みに上っていく。それに対して障害者芸術の方は、障害を隠さないで、むしろ障害があることを一つの個性として表現していく。克服しないで、素直にそれを出していきます。

浮島 一人ひとりが輝いているのは同じでも、ちょっと違うのですね。

小倉 浮島先生は、車椅子ダンスを支援する活動もされています。車椅子ダンスをされる方は増えているのですか?

浮島 増えています。もともとダンスをやっていなくても始める方がいますよ。私が関わっているジェネシスオブエンターテイメントというグループには実にさまざまな人がいます。例えば、学校でいじめに遭って自殺未遂をし、足が悪くなって車椅子に乗るようになった方がいます。車椅子ダンスと出会って、一生懸命やれば自分も何かができるのだと気付いてのめり込んでいったそうです。仲間もできて、自分が必要とされているのが分かると、積極的に学校公演にも行くようになりました。

小倉 それは素晴らしいことですね。

浮島 それで一生懸命に踊った後で、子どもたちに講演をしてもらうことにしたのです。自分はいじめを受けて、本当に苦しくて、もうこれ以上生きられないと思って飛び降りた。目が覚めたら足は駄目になっていたけれど、命だけは助かった。だからこれからはこの車椅子ダンスでみんなに感動を与えていきたい。そんな体験談を聞いて、子どもたちは涙が止まらなくなってしまうのです。

小倉 いじめに遭って自殺しようとした人が実際に目の前にいるわけですからね。

浮島 その後で感想文を書いてもらうと、「自分は今いじめを行っているけれど、これからはもう絶対にしない」と告白した児童もいたそうです。子どもたちとって、実体験に基づいた生の話を聞くというのはすごくインパクトがあって、想像以上に教育効果を発揮するものなのです。


障害者スポーツの頂点と裾野を支援

浮島 私の知り合いに、お嬢様がパラグライダーで全日本第2位になった方がいます。でも2位になった直後、練習中に墜落して脊髄を損傷して動けなくなってしまいました。その事実を知らずに、私はその方にパラリンピアンのお話をたくさんしました。家に帰って、その事を娘さんに話したらしいのですが、その娘さんが目を輝かし始めたというのです。自分はスポーツをこれまでずっとやってきた。パラグライダーでも日本一を目指せるところまできた。そんな矢先に、突然こんな体になってしまってどうしたらいいか分からないでいた。でも、パラリンピアンの話を聞いて再挑戦する気になったというのです。

対談をすすめる小倉代表

写真:対談をすすめる小倉代表

小倉 大いに勇気づけられたというのですね。

浮島 それでお嬢様は、「一刻も早く退院して、トレーニングを始めたい。どんな種目か分からないけれど自分はパラリンピアンを目指したい」と言ったそうです。

小倉 パラリンピアンの生き様というのは、失意のどん底にある人に力と希望を与えてくれますからね。

浮島 こうしたパラリンピアンの話がいろんな人にもっとどんどん伝わっていくといいのですが...。

小倉 そうなんです。しかし、大半の障害者あるいは関連団体の方は、自己宣伝することには若干消極的なことも事実ですね。

浮島 それは言えますね。

小倉 競技団体のホームページを見ても、「競技大会がいつどこで開かれますから、皆さん来てください」というようにはなっていないですね。

浮島 本来ならどんどん声を上げていかなければ駄目ですよね。

小倉 集客する努力をしていただかないと。

浮島 障害者の方を表に出すのは、障害者の方に対して失礼になるんじゃないかと言う人がいます。しかし障害者の方と直接お話をすると、「自分たちはもっと表に出たいし、やりたいこともいろいろある。でも、厳しい世間の目があって踏み切る勇気がない」とおっしゃるんですね。だからその壁を突破するのはなかなか大変だと。

小倉 そうした壁を打ち破るには、障害者のトップアスリートの存在が重要になってきます。彼らの活躍が社会の意識を変えていく上で大きな力になりますから。

浮島 この5年間が一つの勝負ですね。一人でも多くの方にパラリンピアンに接していただき、パラリンピックを見に行きたい、障害者スポーツを支援したいという気持ちを醸成していく。そのためにはパラリンピアンの露出度を高めることも必要です。テレビなどにも出演してもらって、多くの人々に障害者スポーツの素晴らしさを知っていただくことが大切ですね。

小倉 障害者スポーツの振興を考える上で、障害者アスリートの頂点が高くないと裾野が広がりません。同時に裾野が広くないと山は高くなりません。その両方を2020年に向けてやっていくことが大事だと思います。そのために私たち日本財団パラリンピックサポートセンターでは、競技団体はもとより、日本パラリンピアンズ協会も支援していきたいと思っています。

浮島 それはどんどんやっていただきたいですね。パラリンピックの成功なくしては、オリンピックの成功はないと思っています。本当にパラリンピックを大成功させたいですね。

対談を終えたふたり

写真:対談を終えて


浮島とも子さんプロフィール写真

浮島とも子 衆議院議員。2020東京オリンピック・パラリンピック大会を成功させる議員連盟事務局次長。1963年生まれ。東京立正高等学校卒業後、香港ロイヤルバレエ団、米国デイトンバレエ団でプリマバレリーナとして活躍。阪神淡路大震災をきっかけとして、1996年に帰国し神戸にてボランティア活動を始める。1998年に「劇団『夢』サーカス」を設立し、日本各地で公演を行う。2004年、参議院議員当選。2012年より、衆議院議員。

小倉プロフィールフォト.jpg小倉和夫 日本財団パラリンピック研究会代表および日本財団パラリンピックサポートセンター理事長。1938年生まれ。外務審議官、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長などを歴任。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致では評議会事務総長を務める。青山学院大学特別招聘教授。

日本財団パラリンピック研究会は、筑波大学(体育系・つくば国際スポーツアカデミー(TIAS)・オリンピック教育プラットフォーム(CORE))との共催で、以下のシンポジウムを開催しました。

開催概要


■テーマ:「パラリンピック・ムーブメント - レガシーを通して考える2020年東京大会のあり方」
■日時:2015年12月19日(土) 13:00 ~ 17:00(受付開始12:30)
■会場:筑波大学 東京キャンパス 文京校舎 134教室
      東京メトロ丸ノ内線茗荷谷(みょうがだに)駅下車「出口1」徒歩5分
アクセス:http://www.tsukuba.ac.jp/access/bunkyo_access.html
■言語:英語、日本語(同時通訳付き)
■プログラム詳細→こちら

報告書を刊行しました。

■連絡先
日本財団パラリンピック研究会
〒107-0052 東京都港区赤坂1-3-5 赤坂アビタシオンビル4階
Tel:03-5545-5991(平日9:00-17:00)

第15回ワークショップ

第15回 2015年11月5日

「パラリンピック報道とパラリンピックレガシー」

 2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会(以下東京大会)におけるレガシーの一つとして、障害者へのポジティブな意識、共生社会の実現が挙げられている。

 パラリンピック報道を分析すると、男らしさ、女らしさといった既存の価値観に基づいた報道が多いことがわかる。
 パラリンピックはそれ自体に、1.公平性と競技性、2.重度障害者の位置付けの不確かさ、3.健常者になれない障害者、など矛盾した価値を内包している。しかし、価値観の多様化・共生社会の実現を考えるのであれば、通常のスポーツが追究する「より速く、より高く、より強く」とは異なる価値観を提示すべきであり、その意味でボッチャのような重度障害者の競技をどのように報道するかが問われている。

 一般的なスポーツが体力の限界に挑むのに対し、障害者スポーツは多様性の限界に挑むという側面を持つ。その意味で障害者スポーツの振興は、多様な価値観を認める共生社会の実現に重要な意義を持つのではないか。

ジャパンパラ 水泳観戦報告

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 2015年9月5~6日、東京辰巳国際水泳場にて、(公財)日本障がい者スポーツ協会・日本パラリンピック委員会主催、(一社)日本身体障がい者水泳連盟・(一社)日本知的障害者水泳連盟・日本ろう者水泳協会共催による、2015ジャパンパラ水泳競技大会が開催された。のべ1,000名を超える選手が競い合った大会を本研究会研究員が観戦した。

 ロンドン大会で活躍した選手、現役復帰した往年のメダリスト、期待の新人、そして目覚ましい成長に注目が集まる選手等々、多様な顔ぶれが並んだ。有力選手のコースアウトなどの波乱もあったが、多くのスイマーが自己ベストを伸ばす中、大会新記録および日本新記録も続出し、その度に会場は拍手と歓声に包まれた。決勝戦を制し、表彰を受けた選手は、大勢のカメラマンに囲まれ、取材を受けて、晴れがましい表情を浮かべた。

 大会プログラムで競技の概要、クラス分け、独自のルール、過去の記録などが詳しく紹介される一方、あわせて配布された案内書『かんたん!水泳ガイド』の写真やイラストを用いた簡明な説明で、初めて観戦する人も競技を理解して試合を楽しめるよう工夫されていた。会場では、電光掲示板に選手紹介や競技の経過とタイムが次々と表示されて、観戦者は思い思いに競技を楽しみ、選手に声援を送っていた。

 大会25周年の節目の今年、17年ぶりに会場が大阪から東京へと戻ってきたことも、2020年東京大会に向けた機運醸成に一役買っていることだろう。日本選手団は今年7月に英国グラスゴーで行われたIPCスイミング世界選手権で、合計7つのメダルを獲得した。リオデジャネイロ大会、そして東京大会での活躍へと期待は膨らむ。

ジャパンパラ パンフレット.jpg

第14回ワークショップ

第14回 2015年10月6日

「ロンドンパラリンピック大会を振り返って」


「パラリンピック発祥の地英国におけるレガシーを考える」
 現在のイギリスにおける障害者のメインストリーミング=一元化は「一般のスポーツ協会や健常者向けのプログラムを推進する協会が、障害者に対しても同様の運営をすること」と定められている。また、イギリスでもアメリカの「障害を持つアメリカ人法」(1990)を受けて1995年に「障害者差別禁止法」が施行され、障害者のスポーツ支援の根拠となっている。
 イギリスでは2012年ロンドンパラリンピック大会(以下ロンドン大会)への準備を通じて、1.競技団体の責任の明確化、2.評価システムの構築、3.オリンピック選手と同様の強化システムの採用、といった変化がみられた。ロンドン大会最大のレガシーとは、全てのレベルに全ての人が参加するという考え方、そして、Sports for All理念が普及したことである。イギリスも順風満帆に進展してきたわけではないが、ロンドン大会が契機となった。日本も2020年東京パラリンピック大会(以下東京大会)を通じて更なる発展ができるのではないか。

「ロンドン大会の「遺産(遺訓)」~日本選手団への教訓を考える」
 第一に、競技レベルが世界から遅れを取っている。また、用具のオーダーメイド化が高コスト化を招いており、性能の高度化と普及のバランスが難しい。外国チームはおしなべて情報収集能力も優れている。
 競技団体のガバナンスのあり方に目を向けると、競技団体ごとにその体制に随分とばらつきがある。また、障害者対策の実践と法律の乖離をどう是正するかも課題である。
 ロンドン大会の観客増加の要因は、1.オリンピックの成功、2.安価なチケット、3.夕方以降のプログラムの存在、4.Channel4によるTV放映が挙げられる。これらは東京大会成功の鍵として参考になるのではないか。

「ロンドン2012と東京2020のレガシー」
 ロンドン大会が成功した要因として、1.オリンピック・パラリンピック同一団体による大会主催、2.イギリス選手団の好成績、3.大会終了後のオリンピアン・パラリンピアンの合同パレードとその報道が挙げられる。
 また、イギリス人の余暇を楽しむ文化、生活に入り込んだスポーツ文化なども重要な要因である。日本においても東京大会のレガシーとして残すべきではないか。
 他にも残すべき東京大会のレガシーとして、1.日常的にスポーツに参加できる環境の実現、2.運動の習慣化、3.スポーツを通じた成功体験の獲得などが挙げられる。

 2015年7月31日~8月2日、足立区総合スポーツセンターにて、(公財)日本障がい者スポーツ協会・日本パラリンピック委員会主催、(一社)日本ゴールボール協会共催により、ゴールボールの競技力向上と日本国内での普及を目的とした2015ジャパンパラゴールボール競技大会が開催され、日本、韓国、トルコ、ロシアの女子チームが出場した。

 会場には、ゴールボールのルール解説、競技用具の紹介、ロンドン金メダル日本女子チームの活躍の様子などが、パネル展示によって紹介され、来場客がゴールボールを理解し、親しむことができるように工夫されていた。子どもからお年寄りまで様々な観客が足を運んで観戦を楽しむ中、大会では、トルコが金メダル、ロシアが銀メダル、韓国が銅メダルを獲得し、日本チームは4位を記録した。

 今大会に本研究会研究員が通訳ボランティアとして参加した。競技以外の部分をサポートしたが、その中で最も印象を受けたことは、エスコートキッズの小学生たちと韓国人選手の間で交わされたコミュニケーションであった。最初はお互いに口数が少なかったが、名前を聞くことからはじまり、彼らは次第に打ち解けていった。障害者と健常者、日本人と韓国人の垣根を越え、知り合いのお姉さんと妹、弟のような会話を交わしていたことが強く印象に残った。また、最終日には、仲良くなった選手たちを応援するために、家族を連れて会場に来る小学生の姿もあった。これこそまさに、パラスポーツを通じて芽生えた国際交流、障害者と健常者の間の交流だと感じた。

今後もこのような機会が増え、日本、アジア、そして世界に友好の輪が広がることを期待したい。

浴衣を試着する韓国選手、パネル展示.jpg 浴衣を試着する韓国選手、パネル展示

語学ボランティアと韓国選手.jpg 語学ボランティアと韓国選手

エスコートキッズの小学生と日本選手.jpg エスコートキッズの小学生と日本選手

TOKYO2020 パラリンピック対談

さまざまな"伴走者"が東京パラリンピックを成功に導く

第5回 増田明美さん スポーツジャーナリスト、大阪芸術大学教授

対談シリーズは動画でもご覧いただけます。(下記リンクから新しいウィンドウで開きます)


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東京MX特設ページ(外部リンク)


■感動的だったロンドン・パラリンピック

対談の様子 写真右 増田明美さん 写真左 小倉和夫パラリンピック研究会代表写真:対談シリーズ第5回 増田明美さん(右)と小倉和夫(左)

小倉 増田さんはこれまで数多くのオリンピック・パラリンピックを現地でご覧になってきたと思いますが、特に印象に残る大会は何ですか?

増田 何と言っても、2012年のロンドン・パラリンピックです。スカパー!の仕事で2週間滞在し、あちこちの会場をレポートしました。どの競技会場も観客席が満員で、それが一番感動的でした。子どもたちがどこでも前の方の席に座っていましたね。水泳競技の会場では、選手がターンをした瞬間に「すごく速いね、かっこいいね!」って小学生がごく自然に会話を楽しんでいて、応援する文化のレベルが高いなと思いました。

対談ゲスト 増田明美さん写真:スポーツジャーナリスト、大阪芸術大学教授 増田明美さん

小倉 みんなで観戦を楽しんでいる雰囲気でしたね。

増田 本当にそうでした。それからびっくりしたのは、シッティング・バレーの会場です。選手の皆さんがさっそうと登場してきて、競技が始まる直前に義足を外し始めるんです。まるで靴を脱ぐようにして、それを籠にいれる。私には初めて見る光景でしたが、観客の皆さんはごく当たり前のものとしてご覧になっている。そうした驚きというのが全部目に焼き付いています。

小倉 私は、開会式と柔道の会場にしか行くことができませんでしたが、目の見えない方の柔道には独自の形なり、技がきれいに決まったりするところがあって、とても面白いと思いました。

増田 車椅子マラソンでは、がたがたの石畳に選手がかなり苦労していました。

小倉 転倒する選手もいたそうですね。

増田 東京の道路は路面がいいので、2020年では転倒は少なくなると思います。

小倉 でも雨が降ると、大変ではないですか?

増田 車輪の素材などを工夫されるとは思いますが、健常者のマラソンに比べたら、大きな負担になるでしょうね。東京大会では、暑さ対策で保水性の高い道路にするという話もありますから、いろいろと対策を練らないといけないでしょうね。

小倉 なるほど、それは面白いポイントです。

増田 それからロンドン・パラリンピックで感心したのは、ボランティア・スタッフの対応の良さです。ピンクのビブスをつけたボランティアの方が、ほとんどの大きなバス停にいらっしゃいました。

小倉 ほんとうに大勢のボランティアの方が活躍していましたね。

増田 彼らが道案内や観光案内を完璧にされたことにも感動しました。


多くのランナーに伴走者を体験してもらいたい

小倉 増田さんはブラインドマラソンの伴走者をおやりになっているそうですね。

増田 代々木公園で、日本盲人マラソン協会の方が毎月第一日曜日に伴走者の指導を行っていて、ここに参加していろいろと教えていただきました。参加して初めて知ることが本当にたくさんありました。盲人ランナーの方は、横をすり抜ける自転車や、曲り角や段差などに対して、常にびくびくしながら走っているんです。それで足の前側の筋肉が張ってしまうらしいのです。だから、私みたいなおしゃべりは伴走者には合っているらしいんです。常におしゃべりして周囲の状況を詳しく伝えるようにしています。

小倉 ランナーの方とは、紐を握りあって走るのでしょう?

パラリンピック研究会代表 小倉和夫写真:日本財団パラリンピック研究会 小倉和夫

増田 そうです。その紐の持ち方も難しくて、あまり近くに持ちすぎると自由に動けなくなるし。そのランナーにあった距離感があるんです。それから、普段は杖を持って歩かれている方が多いので、大きく手を振って走れることが何よりも嬉しいんですって。だから、紐を持ってなるべく手を振らせてあげるようにすると、いい伴走ができます。

小倉 遅くなっても、ペースが合わなくてもだめでしょうし、とても難しそうにみえます。伴走者を育てるのも大変ですね。

増田 伴走者の講習に時間はそんなにかかりません。1時間半ぐらいの講習を2、3回しっかりと受ければできるようになります。あとは場数を踏むことです。走るのが好きな人は、伴走すると別の楽しさを発見できますから、多くのランナーに体験してもらいたいですね。

小倉 東京マラソンに3万人以上の方が参加しているわけですから、そこから数%でも伴走者になる人が出てくるといいですね。ところでパラリンピックではどんな人が伴走者になるのですか?

増田 元オリンピック選手クラスの人が伴走者になります。

小倉 パラリンピックでは、伴走者にもメダルが与えられると聞きました。

増田 そうです。2人の息があってこそのメダルですから。会話のリズムと走るリズムが合ったら、もう抜群にいいですよ。でも相手がおとなしい方ですと、私みたいなおしゃべりはノーサンキューって言われることもありますね(笑)。


競技団体のサポートが重要

小倉 増田さんは障がい者スポーツ協会の評議員をされていますが、障害者スポーツの現状をどのようにご覧になっていますか?

増田 この前ちょっとショッキングなことがありました。車椅子アーチェリーの男子選手でかなり有名な方が、これからリオ・パラリンピックの出場資格をかけたドイツの大会に出場するというのです。おそらく世界選手権だと思いますが、その大会に自腹を切って行くというのでびっくりしました。それを聞いて、障害者アスリートの置かれている厳しい現実を目の当たりにしました。

小倉 本来なら、障がい者スポーツ協会なりが資金も人も用意して競技団体を助け、それぞれの競技団体が選手をサポートしなくてはならないのでしょうが...。

増田 そうもいかないのでしょうね。

対談の様子写真:対談の様子

小倉 日本財団パラリンピック研究会を立ち上げたのも、そうした問題意識があったからです。各競技団体を調べてみると、みなさん非常に一生懸命やっていらっしゃるのですが、規模が小さく、お金もない、スタッフもいないという現実が分かったのです。場合によっては、自宅の一角に事務所を構えて、私費で運営している団体もありました。選手育成にお金が出せないのも問題ですが、それ以前に競技団体自体の体質がぜい弱なのです。

増田 そこを何とかしないと、障害者スポーツの発展は望めませんね。

小倉 そこで、日本財団の支援でパラリンピックサポートセンターを作ることになりまして、各競技団体の手助けをさせていただくことになったのです。例えば、海外からルール改正の書類が届きます。それを翻訳するにしても一人しかスタッフがいないような団体ではお手上げですから、そうしたことも含めてサポートしていこうと思っています。

増田 どこの団体も人手不足でしょうからね。

小倉 選手の強化費の補助を申請しようと思っても、手続きだけでも大変で、専門家の手助けが必要です。それ以外にも、税理士や会計士なりを紹介するようなサービスも考えています。

増田 それは競技団体にとって、とても有難いことですよ。


障害者アスリートと企業の関係

小倉 2020年のパラリンピックに向けて、これから何が必要でしょうか?

増田 選手の発掘をもっと積極的に行なっていくべきだと思います。例えばアメリカでしたら、戦争などによって怪我をしてしまった人がパラリンピックを一つの目標にするということがあると思いますが、日本ではそうもいきませんから。

小倉 お国のために一生懸命戦ってくれた軍人さんが怪我をしたのであれば、国家としてパラリンピックをサポートしていこうと機運が盛り上がります。しかし安心、安全、平和な日本では、障害を持たれた方をみんなで支援しようとは考えますが、国家の問題として捉えることがどこまでできるか、若干不安もあります。そういった意味で、パラリンピックに向けて国民の意識を他国のように高めるのは難しいという側面があるのも確かです。

説明する小倉代表写真:身振りを交えて説明する小倉代表

増田 それから障害者アスリートのキャリアパスの問題も考えていかなくてはなりません。選手たちが引退後どんな生活を送っていくかを考えてあげないと、目の前の練習にも集中できません。

小倉 海外では、多数のプロ選手がいます。彼らは現役を引退した後で、コーチや監督になったり、学校の先生になったりします。ところが日本の場合、プロに近い方でも企業に勤めておられる。そうすると選手生活が終わった後、やはりその企業の中で役に立ちたいと考えるようになります。

増田 選手の中にはプロでやっていきたいと思っている人もいるし、企業に属しながら引退したらセカンドライフは仕事の方でキャリアを積んでいきたいと思う人もいます。両方に応えられるようなサポートができるといいのですが、なかなか難しいですね。

小倉 それで一つの解決策として、実業団対抗みたいな形でサポートをできないかと思っています。

増田 野球の実業団リーグやマラソンの企業対抗駅伝のようなものですか?

小倉 障害者アスリートの社会人リーグが行われるようになると、わが社の誰々さんが出ているということで会社もバックアップする。そういうチームが数多くできれば、監督やコーチも必要になります。選手生活が終わっても、企業に属しながらスポーツと関わっていけるようになると思うのですが、いかがですか?

増田 いいですね。ただ、景気や業績が悪いとそうしたスポーツ部門が最初に予算をカットされるケースも多いので、そのへんが課題ですね。最近の動きとしては、社員の皆さんが積極的に障害者スポーツの大会に応援に行くようになっているのがステキです。

小倉 ソチ・パラリンピックでは、選手の所属企業の社員の方がたくさん応援にきていました。

増田 社員の一人ひとりが応援やボランティアといった形で、障害者スポーツに関わりをもつようになると、状況が変わるかもしれません。


■合同練習はオリンピック選手にもプラス

対談をすすめる増田さん写真:対談をすすめる増田さん(写真奥)

増田 マーラー・ヤマウチさんという方がいます。北京オリンピックの女子マラソンで6位に入賞した選手です。イギリスの外交官で、ご主人は日本人です。彼女が北京オリンピックのイギリス代表になった時、イギリスチームはオリンピック・パラリンピック選手の合同合宿を行いました。その時の感想をマーラーさんは、「健常者が障害者から学ぶことの方が多かった」と言っていました。逆かと思っていたのですが、残っている機能を最大限生かそうとする体の使い方がとても参考になったというのです。

小倉 私も下手ですがテニスを少しやるので、国枝慎吾選手のプレイを見ているととても参考になります。障害者のプレイから学ぶという意味は、よく分かります。

増田 日本でも、オリンピックとパラリンピックの選手が2020年に向けて一緒にやっていく機会が増えるといいですね。それが実現できたら、競技が終わった後のパレードなども一緒にできるようになると思います。

小倉 バリアフリーに関してはどう思われますか?

増田 まだ不十分だと思います。競技大会の会場はバリアフリーが進んでいますが、会場に行くまでに疲れてしまうという声をよく聞きます。街中を車椅子で移動していると、縁石があったり、エレベーターがなかったりで、とても苦労するというのです。2020年に向けて、街全体のバリアフリー化をさらに進めることも課題の一つでしょうね。

小倉 それが結果的には、高齢者の方にとっても優しい街になるでしょうからね。

増田 それから、心のバリアフリーも大切です。例えば、駅で白い杖を持っている人がいても、どういうふうに声をかけたらいいのか分からない人がたくさんいます。健常者と障害者が自然に触れ合える機会を増やしていけば、もっと自然に接することができるようになると思います。 

小倉 心のバリアフリーを進める上で、一つのアイデアがあります。まずレディファースト運動から始めたらどうかと思っているのです。

増田 それはどういうことですか?

小倉 白い杖を持った方や車椅子に乗った方に手をお貸しするのは相手次第のところもあって多少勇気がいるかもしれませんが、レディファーストならごく自然に始められるのではないでしょうか。まず、総理官邸とか中央官庁、東京都庁などでレディファースト運動を始めてもらう。そしてそこから広げて、高齢者や赤ちゃんと一緒のお母さん、障害者へとハードルを下げていったらどうかと思っています。ただし、賛同者がどこまで出てくるか...。

増田 社会の空気を変えるきっかけとしてのレディファースト運動って、とてもいいアイデアだと思います。日本が何かワンランク上に行くような感じがして。ぜひ、進めていっていただきたいですね。

対談を終えて写真:対談を終えて


増田明美さんプロフィール写真

増田明美 スポーツジャーナリスト。大阪芸術大学教授。1964年生まれ。1984年のロス五輪に出場。92年に引退するまでに日本最高記録12回、世界最高記録2回更新。2001年から10年間、文部科学省中央教育審議会委員を務める。全国高等学校体育連盟理事、日本陸上競技連盟評議員、日本障がい者スポーツ協会評議員。



小倉プロフィールフォト.jpg小倉和夫 日本財団パラリンピック研究会代表、日本財団パラリンピックサポートセンター理事長。1938年生まれ。外務審議官、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長などを歴任。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致では評議会事務総長を務める。青山学院大学特別招聘教授。