「(」と一致するもの

第13回ワークショップ

第13回 2015年8月24日

「回顧、そして期待:東京1964-2020、パラリンピックレガシー研究」

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写真:多くの参加者を集めたワークショップ

パラリンピックは、オリンピックに次ぐ世界で2番目に大きな複合競技大会である。2000年シドニー大会以降は「オペレーショナル・パートナーシップ」として、候補都市にオリンピックとパラリンピックの両方の大会主催が求められている。しかし、パラリンピックが生み出してきた成果やレガシー、そして大会の影響力の評価に関する比較研究はほとんど存在しない。

今回は、そうしたパラリンピックレガシー研究の欠如に注目し、レガシーの枠組みと過去のパラリンピックのレガシー研究を吟味する。

IMG_2976.JPG写真:パラリンピックレガシーについて話す講師

これまでの研究の大半は夏季パラリンピック大会に焦点を当てたもので、冬季パラリンピック大会にはほとんど関心が示されてこなかったことが明らかになった。レガシーに焦点を当てた研究の主要な成果としては、(障害者に対応した)インフラストラクチャー、(障害者)スポーツの機会提供と発展、(障害者に関する)情報・教育・認識、(障害者の)人的資本、そして(障害者)スポーツ運営に関する時代的変化などが挙げられる。

理論的には、これらの研究成果は障害者以外の大会レガシーの枠組みと一致しているように見えるかもしれないが、しかし研究成果を詳細に吟味すると、パラリンピックレガシー研究は似て非なるものであり、現行のレガシーの範囲に新たな要素を加えるものであることが示される。

IMG_2966.JPG写真:会場の様子

TOKYO2020 パラリンピック対談

途上国のアスリートが集う東京パラリンピックに

第4回 八代英太さん:元郵政大臣、NPO法人アジアの障害者活動を支援する会(ADDP)顧問

対談シリーズは動画でもご覧いただけます。(下記リンクから新しいウィンドウで開きます)

バナー第4回八代英太.jpg東京MX特設ページ(外部リンク)


■みんな障害者の予備軍

八代先生と小倉代表.jpg写真:対談シリーズ第4回 八代英太さん(右)と小倉和夫(左)

小倉 1964年の東京オリンピックの時は、東京にいらっしゃいましたか?

八代 1963年に山梨放送を退職して、山梨から東京に出てきた頃です。テレビの時代が到来しようとしていて何かで一旗上げたいという気持ちで一杯でした。NHKでオリンピック開会式の生中継が始まると、入場行進にもう釘付けです。終戦から20年もたたないうちに、日本はここまで来たんだと驚きました。オリンピック開催中は、重量挙げの三宅兄弟、東洋の魔女と呼ばれた女子バレーボールチーム、体操の小野清子さんなど日本選手の活躍を目の当たりにして、スポーツの力に圧倒されました。

小倉 パラリンピックはご覧になりましたか?

八代 その存在さえ知りませんでした。これは健常者のいけない所ですね。まさか自分が障害者になるなんて思ってもみませんでしたから。1964年の東京パラリンピックが最初のパラリンピックになるのですか?

小倉 国際パラリンピック委員会の方では、1960年にローマでオリンピックとパラリンピック双方が開催されたので、ローマ大会が第1回ということになっています。ただし、パラリンピックという言葉が広く世間で知られるようになったのは東京大会からです。

八代英太さん.jpg写真:元郵政大臣、NPO法人アジアの障害者活動を支援する会(ADDP)顧問 八代英太さん

八代 のちに障害を持ちその大会に出た人たちと親交を持つようになって、東京パラリンピックは大成功だったという話をよく聞きましたね。

小倉 ご承知のように、今や日本も高齢社会になりました。ある意味では高齢者というのは皆それぞれにさまざまな障害を抱えています。健常者と言っても、いつ障害者になるか分からないし、その境目もあいまいです。

八代 健常者は障害者の予備軍なんです。老いて足腰が弱る、耳が遠くなる、目が不自由になる、物忘れが激しくなる...、これらは障害と言えるでしょう。私は36歳で障害を持ちましたが、早く障害を持つか、年取ってから障害を持つかの違いです。ですから高齢社会の問題は、障害者問題でもあります。そういう意味では、高齢者にとって住みよい街は障害者にとっても暮らしやすいし、逆も言えるわけです。

小倉 高齢者だけでなく、赤ちゃんのいるお母さんというのもある意味ではハンディキャップをお持ちになっているわけです。広い意味で、2020年を契機に人々の社会意識を変えていかなくてはいけないと思います。


バリアフリー社会へ向けて

小倉 2020年の東京パラリンピックに向けて、この機会に広い意味でのバリアフリー社会を作っていくべきだと思います。八代先生は交通バリアフリー法を作られる時に非常に尽力されたと聞いております。

八代 現在、自民党の総務会長である二階俊博さんが運輸大臣の時、私が郵政大臣をしておりまして、「あなたの力でバリアフリー法を作ったら歴史に名を残しますよ」とけしかけて、一緒に法案づくりをすることになったのです。当時はバリアフリーが一般的ではありませんでしたから、いろいろな意見がありました。

日本財団パラリンピック研究会 小倉和夫.jpg写真:日本財団パラリンピック研究会 小倉和夫

小倉 反対意見もあったのですか?

八代 ありました。国土が狭いところに窮屈なビルがたくさん建っているのだから、そこにスロープやエレベーターを設置するのは大変だよと言われました。でもこれから建設される鉄道駅や空港、バスターミナルは障害者や高齢者が利用できるように設計施工されなければならないという法律をなんとか成立させました。それが15年前です。当時としては精いっぱいやりましたが、今から考えると表通りだけのバリアフリーなんですね。人間が24時間暮らしている裏通りには全然配慮していない。2020年の東京は、世界からたくさんのお客様をお呼びするわけですから、表通りだけでない、裏通りも含めたバリアフリーも進めていってもらいたいですね。

小倉 それから大事なのは心のバリアフリーではないでしょうか。これだけ高齢者が増えているのですから、社会の意識を変えていくべきです。でもまだ意識が低いと言わざるを得ない。例えば駐車場には障害者用のスペースがありますが、一般の人が勝手に使っているようなケースをよく目にします。そういう意識も含めて変えていかなくてはなりません。

八代 こんな話があります。公園の車椅子用のトイレがいつしか不良少年たちのたまり場になって、タバコを吸ったり、ドラッグをやったりなんてことに使われるようになった。それはまずいというので、車いす用トイレに鍵がかけられるようになり、「ご使用の場合は30分前に管理事務所にご連絡下さい」という札がかけられる。笑い話のような話ですが、人々の意識はまだそのレベルです。障害者に対して、無理解ではないけれど、未理解だと思います。


アスリート育成には企業の協力も

八代 最近、少しずつですがパラリンピックに関する報道が増えていますが、オリンピックに比べると、世間一般の関心はまだ低いですね。富士山に例えると、オリンピックが頂上だとすると、パラリンピックはやっと1合目ぐらいでしょうか。

対談の様子.jpg写真:対談の様子

小倉 もっと関心をもってもらうためには、やはりトップアスリートを育成していくことが大事です。注目を浴びる選手が数多く登場することで、障害者スポーツの裾野も広がるでしょう。しかしそれだけでは駄目で、これからはアスリート育成とともに、多くの障害者の方にスポーツを楽しんでいただく取り組みも一緒にやっていかなくてはなりません。

八代 これまで厚生労働省が障害者スポーツを管轄していたのが文部科学省に移り、さらに文科省の中にスポーツ庁が誕生して、オリンピック・パラリンピックの担当大臣も任命されました。障害者スポーツを取り巻く環境もだいぶ変わっていくのではないでしょうか。

小倉 障害者スポーツを盛んにするためには、障害者アスリートが選手生活を終えた後で、どういう道を送っていくのかも考えていくべきです。選手支援の一環として、就職など生活面でのケアも社会全体で支えていかなくてはならないと思います。そのためには企業の協力も必要になってきます。

八代 日本には障害者雇用促進法がありまして、100人以上の企業は2%、つまり100人に2人は障害者を雇用しなさいという法律があります。しかしそれを満たしている企業は、46%ぐらいです。

小倉 そんなものですか?

八代 1カ月5万円の納付金を政府に収めれば雇用を免除される仕組みがあって、お金を納めますから障害者の雇用は勘弁してくだいという感じです。

小倉 そこを変えていかないと駄目ですね。

八代 そうです。その一つの解決法として、企業に障害者アスリートを雇用してもらうための働きかけを行っています。毎月1回企業のみなさんに来ていただき、障害者アスリートを紹介しています。スポーツをやる障害者はガッツがあるので、他の社員の刺激にもなります。絶対にあなたの会社にとってプラスになりますよと。障害者アスリートと企業をつなぐ「つなひろワールド」という雇用支援サービスを立ち上げまして、そうした活動を行っています。

小倉 それはとても重要な活動ですね。

八代 障害者アスリートにとって、練習と仕事の両立は最も悩ましい問題です。仕事があまりにも忙しすぎると、競技者としての人生を全うできません。理解のある職場で、一人でも多くの障害者アスリートが競技に打ち込めるようにしていくことが大事だと思います。

小倉 諸外国では、数多くの障害者のコーチがいて指導に当たっているそうです。日本では障害者スポーツの指導者はまだ健常者がほとんどですが、今後はコーチや監督として働いていけるような道も作っていくべきだと思います。


途上国のアスリートを支援するパラリンピックに

小倉 オリンピックだけを見ますと、たとえば北京大会ではメダルを取った国は参加国の半分くらい、金メダルとなると参加国の4分の1くらいです。そこで今度の東京大会では、今までメダルを取れなかった国がメダルを取れるようにできないかと考えています。あと5年、日本がそういう国々を支援していくという精神が大切ではないかと思います。八代先生は長らくラオスの障害者スポーツの振興に取り組んでこられましたが、どんなご縁でそうした活動を始められたのですか?

ラオスの障害者スポーツ支援について話す八代さん.jpg写真:国際障害者スポーツ支援について話される八代さん

八代 ラオスで活動を始めてから今年で19年になります。きっかけは、ラオスの保健大臣が、当時アジア太平洋地域の障害者インターナショナルの議長をしていた私を訪ねてきたことです。当時のラオスは社会主義国であったにもかかわらず障害者福祉に関しては、何も行われていないも同然でした。野菜や果物が豊富で食べるものには困らない国ですから、障害者は家族がすべてを抱え込んで世話をしているということでした。保健大臣からそうした事情を聞いた私は、ラオスに行って障害者の方に会っていろいろとお話を伺いました。すると、「表に出たい」、「友達を作りたい」、「何か自分でできる仕事があったらやりたい」と積極的な意見が多かったんです。そこで、障害を持った人たちにスポーツを教えて、仲間を作り、働く意欲を引き出すプロジェクトを個人的に始めることにしたのです。もちろんラオスという国が大好きだったから始めたという側面もあります。周囲を山に囲まれたラオスは海のない農業国で、どこか生まれ故郷の山梨に似ている所がありましたから。

小倉 最初はどんな競技から始めたのですか?

八代 車椅子バスケットボールです。車椅子に乗ったことがないポリオの若者たちを車椅子に乗せて、バスケットボールのやり方を教えました。日本からコーチも派遣してもらって、いろいろと指導しました。最初は1チームだけ作ったのですが、見る方もやる方もこんな楽しいことはないとそのとりこになりまして、すでに7チームが誕生しています。アセアン地域ではかなりいい成績を残すまでなりました。他のスポーツにも広げてほしいということで、ゴールボールのチームも生まれています。

小倉 ロンドン・パラリンピックにはラオスの選手は出場したのですか?

八代 ラオスでは、ウエイトリフティングの選手が一人しか出ていません。財政的な問題もありますし、何よりスポーツの指導者がいないですから。

小倉 練習施設なども少ないでしょうからね。

八代 今度の東京パラリンピックでは、そこをなんとかしたいんですよ。アジアの中の日本ということを考えて、アジアの障害者アスリートを日本の援助で東京に招くことはできないかと思っています。私が顧問を務める「アジアの障害者活動を支援する会(ADDP)」では、メコン流域の5カ国(タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー)の障害を持った人たちをまず選手として育成して、最低でも1カ国5競技にエントリーさせるという目標で頑張っている最中です。

国際障害者スポーツ支援について話す小倉和夫.jpg写真:日本財団パラリンピック研究会 小倉和夫

小倉 ちょうど私どもパラリンピック研究会でも、その5カ国について、障害者スポーツの実態を調査中です。これから何が必要なのかを研究するつもりですので、是非ご一緒にやっていきたいですね。

八代 5カ国の中でタイは経済的にも一つ抜き出ているところがありますから、タイとコラボレーションして、支援していくといいかもしれません。

小倉 2020年の東京パラリンピックを、日本だけでなく、アジアのためにもなる大会にしたいものです。

八代 いいですね。指導者を派遣するなど日本がきちんと支援して、選手養成を行っていく。そしてアジアの国々から一人でも多くの障害者アスリートに東京大会にきてもらう。

小倉 1964年の東京パラリンピックが成功を収め、その後でフェスピックというアジア太平洋地域の障害者スポーツ大会が開催される契機となりました。2020年の東京パラリンピックも、その後の国際社会にインパクトを与えるような大会にしたいですね。

八代 東京大会ではオリンピックとパラリンピックの開会式を一緒にやったらどうでしょう。世界に名だたるスーパースターが車椅子の選手を押して入場行進したら、「インクルーシブな社会を目指す」というメッセージを東京から全世界に発信できると思いますよ。


【Profile】

八代英太さん近影.jpg八代英太 元郵政大臣。NPO法人アジアの障害者活動を支援する会(ADDP)顧問。1937年生まれ。ワイドショー司会、ラジオ、テレビでタレントとして活躍した後、1973年に転落事故により車椅子生活となる。1977年の参議院選挙で初当選。以来、28年間国政で活躍し、日本の障害者福祉に大きく貢献する。

 

小倉プロフィールフォト.jpg小倉和夫 日本財団パラリンピック研究会代表。1938年生まれ。外務審議官、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長などを歴任。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致では評議会事務総長を務める。青山学院大学特別招聘教授。

 

TOKYO2020 パラリンピック対談

能楽に見る"心のバリアフリー"

第3回 観世清和さん:二十六世観世宗家、能楽師

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バナー第3回観世流家元観世清和.jpg

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■武士道から生まれた歩行の美学

対談シリーズ.JPG写真:対談シリーズ第2回 観世清和さん(右)と小倉和夫(左)

小倉 お家元は何かスポーツのご経験はおありですか?

観世 小学生の時に野球に夢中になっていました。中学生の頃は合気道と抜刀術、高校生の頃はゴルフを多少たしなみましたが、中学生時代の合気道が基礎体力づくりには大いに役立ったと思います。

小倉 観世家としては、スポーツをどのように考えておられたのでしょうか?

観世 舞台に立つ上で、足を折ってはいけない、日焼けしてはいけないなどと制約があるのですが、わが家はスポーツを大いに奨励していました。先代も体を動かし汗を流し、無我夢中でやれと申しておりました。夏は海で泳ぎ、冬は山でスキーといった具合に、スポーツを楽しむ家風でした。能楽師たるもの、運動神経がよくないといい舞台は勤められないという考えが父にはあったようです。

観世清和氏.JPG

写真:二十六世観世宗家 能楽師 観世清和さん

小倉 昔居合を習っていた時に、技というのは目の位置が非常に大切だと教わりました。時代劇などで相手を切った後、かっこよく横を向いたりしますが、そういったことはあってはならないと。敵が起き上がってくるかもしれないので、目の位置をしっかりしておかなくてはなりません。能の場合でも目の位置は非常に大切だと思います。舞台で美しい動きを生み出すためにはいろいろとご苦労がおありだと思いますが、いかがですか?

観世 能は歩行の芸術とも言われておりますように、美しく歩くことが基本です。腰を水平に保ち重心の高さを変えずにすり足で歩くことを「ハコビ」と申します。ある時、なぜこのような歩き方をするのですかと素朴な質問を受けた事がございます。その時は能面をかけ、視野が狭まっている状態で重い能装束をつけるからとお答えしました。本質的に言えば、この歩き方は武道から来ているようにも思えます。重い刀を二本腰にさして歩くための武士の心得が「ハコビ」を生んだのではないでしょうか。


不自由さが感性を研ぎ澄ます

小倉 障害者の芸術やスポーツを考える上で大切なのは、障害があるということをネガティブにではなく、もっとポジティブに捉えようということです。普通の人が見えないものが見え、普通の人が聞こえないことが聞こえるということもあるのではないかと思います。能の曲でもそのようなことを表現しているものがあったような気がします。たしか盲人の主人公が、「満目青山は心にあり(見渡す限りの美しい山々が、心の中の目で見ることができる)」と語る曲がありましたね。

観世 『弱法師(よろぼし)』です。

小倉 あれはかえって目が見えないからこそ見えるものがあると言っているような気がします。

観世 『弱法師』は、親に捨てられ、流浪の果てに盲目となり、弱法師と呼ばれる芸能者に身を落とした少年・俊徳丸を主人公とする能です。クライマックスは、浄土があるとされる西に沈む夕陽を拝みながら「満目青山は心にあり、見るぞとよ、見るぞとよ」と心眼が開ける場面です。すべてこの世の中にある社会事象を第三の目で自分は見ることができると言うわけです。目が不自由であることによって他の感覚が研ぎ澄まされ、健常者には見えないもう一つの自分の世界が見えるようになったのです。

小倉 まさしく心眼ですね。

観世 この曲が素敵だなと思うのは、目が不自由だという悲哀の世界だけではなく、健常者に負けないぐらいの誇りをもった障害者の姿を描いていることです。自分はたとえ目が不自由であっても、今、この俗世に生きている人間とは違う世界を見ることができるという、そこにこの曲の魅力があると思います。

小倉 杖の使い方も印象的でした。

観世 竹の杖を胸に当てて、歩行する時に左右を探りながら移動します。常に左右を探るのですが、その時に「心」という字を書きながら進みます。目は不自由ですが心で見るということを表現しているわけです。

小倉代表.JPG写真:日本財団パラリンピック研究会 小倉和夫

小倉 障害者のスポーツや芸術について調査・研究をしているうちに、障害というのはある意味で「制約」だと思うようになりました。制約は単に乗り越えるだけでなく、制約があるからこそ創造的なものが生まれるという側面もあると思うのです。例えば能では面(おもて)をつけますからどうしても見える空間が狭くなります。しかしそれだからこそ、想像を絶するような美的なものが出てくる。制約というものは、芸術的な想像力をかき立てる起爆剤になるのではないかと思いますが、いかがですか? 

観世 同感です。能の演者は非常に束縛された状況の中で演技を致しますので、常に感性が研ぎ澄まされてゆくということになります。またお体の不自由な方が能をご覧になる時には、当然制約された部分で理解されようと努力をなされます。したがって、障害者の方が能を観る時には、よい意味で演者と一体となって相互に想像力を高めてゆく。能は想像力をたくましくして鑑賞する芸術ですので、それは一つの理想的な姿ではないかと思います。


■インドで見た"心のバリアフリー"

小倉 能楽の中には弱者に対する救済の思想があるような気がします

観世 能楽は猿楽から派生しております。猿楽は、神社仏閣が戦乱によって倒壊したり、自然災害によって大損害を被ったりした時に、再建のための勧進を行いました。その伝統を引き継ぎ、能楽師は勧進という寄付集めだけでなく、災害に遭われた方を助けるといったボランティア活動を700年前から続けてきました。実際私も、阪神淡路大震災や東日本大震災の折には義援能をさせていただきました。

小倉 社会貢献活動も行ってきたのですね?

対談する観世氏.JPG写真:身振りをまじえ対談に応える観世さん

観世 観世家でも先代の家元が発案して、知的障害の方への施設建設のための寄付を目的とした演能会を1960年代から20年近く続けてきました。私は当時まだ幼かったのですが、父の出演する『隅田川』の子方を勤めました。先代は少しでもお困りの方のお役にたちたいという気持ちが強かったようです。そうした精神は私も受け継いでおりまして、2年後に銀座に完成致します観世能楽堂はできる限りバリアフリーにしたいと考えております。例えば、取り外しのできる観客席を設けて、車椅子をご使用するお客様からお申し込みをいただいた際には、取り外して車椅子スペースを確保致します。併せて視覚や聴覚に障害をお持ちの方々にも、何らかの対応ができるよう専門家の意見を採り入れてゆこうと思っております。

小倉 そうした物理的なバリアフリーとともに、これからは精神的なバリアフリーも大事になってくると思います。街におられる障害者の方にすぐ手を差し伸べることができるかどうかというのは心の問題です。日本人は親切だし、おもてなしの心がありますが、例えば地下鉄の中で赤ちゃんを抱いたご婦人にみんなでさっと席を譲るかというと、必ずしもそうではない。2020年の東京オリンピック・パラリンピックを契機として、心のバリアフリーも進めていかなくてはならないと思うのです。

観世 非常に大事なことです。私はこれまでに演能のために5、6回ほどインドに伺いました。その時に、たまたま目のご不自由な方が、車の往来が激しい路上に一人たたずんで道を渡ろうとしていました。そこへどこからともなく2人の青年が現れて、その方の腕を抱えて、車を止め、通りの向こうまで安全に連れてゆきました。通訳の方に、あの青年は盲人の知り合いなのかと聞いたところ、通りすがりの人たちだというのです。それを聞いて、本当に感動致しました。何か大きなことではなく、小さなことを積み重ねてゆくことが大切なのだとつくづく思いました。

小倉 心のバリアフリーというのは、一人ひとりの心がけによりますからね。

観世 芸に携わる者はやはり思いやりがなければなりません。人様に対する思いやりがなければ芸の習得はできません。稽古の際は一人でも、いろいろな方々のご協力があってはじめて一つの曲が成り立つわけです。一人よがりの芸などというものは、一瞬咲いたボタンの花のように3日もすれば枯れてしまいます。しかし心のある芸というのは、一瞬咲いて消えても、やはり人の心にいつまでも残っているものです。


■言葉の壁を乗り越える力が能楽にはある

対談の様子.JPG写真:対談の様子

小倉 2020年の東京オリンピック・パラリンピックは、ある意味で日本の文化芸術を世界に広め、理解してもらう絶好の機会だと思います。特に世界文化遺産に指定されている能楽が広く世界に知られるチャンスだと思います。

観世 はい。2020年に向けて、私どもも微力ながらご協力させていただきたいと思っております。特に開会式や閉会式は世界の注目が集まりますから、やはり日本の伝統的な文化の素晴しさが感じられるような演出をお考えいただければと思います。日本は先進技術の進んだ国ですが、やはり古き良き日本の伝統というものを大切にしている国ですので、そうした姿が伝わるようなものにしていただきたいです。

小倉 最近ではかなり立派に能を演じられる外国人の方が増えているように思いますが、能の海外への普及ということに関してはどのようにお考えですか?

観世 やはり言葉の壁が大きいです。日本の方でも、能で演じられている言葉を理解するのは並大抵ではございません。その意味を理解しようと思えば、源氏物語や平家物語など古典文学の素養が不可欠です。しかしそうした素養は一度脇において、とにかく集中して観ていただけたらと思っております。能は音楽劇ですから、音楽を楽しむようにしてご覧いただくことで、感動を得ることができると思います。また新しい観世能楽堂では、イヤホンガイド機能としてタブレット端末に画像とともに数か国語の翻訳も流して理解を助けるようにもしたいと思っております。

小倉 西洋の物語をもとにした新作能などは、海外の方には親しみやすいかもしれませんね。

観世 私はアイルランドの詩人・戯曲家W.B.イエイツが能の影響を受けて書いた詩劇を再び日本で翻案した新作能『鷹の泉』を演じさせていただいた事がございます。この様に新作能をご覧になっていただいて、能に対する興味を持ってもらうのも一つのやり方だと思います。能楽はもともとレクイエムであって、人を供養するのが一番大きなテーマです。鎮魂というのは人類共通ですから、言葉の壁があっても十分それを乗り越える力が能楽にはあると信じています。

対談を終えて.JPG写真:対談を終えて


【Profile】

観世清和氏.jpg観世清和 二十六世観世宗家。1959年生まれ。90年家元を継承。能楽の大成者、観阿弥、世阿弥の流れを汲む観世流の二十六世宗家として、現代の能楽界を牽引する。芸術選奨文部大臣新人賞、フランス文化芸術勲章シュバリエ受章。2012年度(第63回)芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2013年「第33回伝統文化ポーラ賞」大賞受賞。2015年度紫綬褒章受章。重要無形文化財「能楽」(総合指定)保持者。

 

小倉プロフィールフォト.jpg小倉和夫 日本財団パラリンピック研究会代表。1938年生まれ。外務審議官、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長などを歴任。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致では評議会事務総長を務める。青山学院大学特別招聘教授。

第11回 ワークショップ

第11回 2015年6月19日

「障害のある人にとっての競技場のアクセシビリティ--観客として、競技者として--」

会場の様子.JPG写真:会場の様子

今回の講演の目的は、パラリンピックで行われる競技を対象に、障害のある人が観客として、あるいは競技者としてスポーツに参加する場合の競技場の利便性を調査し、東京オリンピック・パラリンピックに向けた環境の整備に関して、研究結果に基づいた提言を行うことにある。

障害者権利条約は、障害のある人の人権保障に関するものである。特に重要なのは他の者との平等という観点である。障害者に配慮したアクセシビリティとはあくまでも彼らの権利であって、健常者の思いやりからなされるものではない。そういう意味でバリアフリー法は施設のハード面の規定はあるが、「他の者との平等」という理念を欠いているという点で大きな問題がある。

川内美彦さんと前田有香さん.JPG写真:川内美彦さん(写真左)とパラリンピック研究会研究員(写真右)

国際パラリンピック委員会(IPC)は、アクセスは基本的人権として、その達成のために車いす席などの整備に関する規定を設けている。2020年に向けて規定に合わせた整備を行っていく必要があるが、欧米主要国と比べ日本の状況はだいぶ遅れており、観客席のアクセシビリティに関する規定そのものがない。したがって観戦時の視線=サイトラインの確保も、日本ではほとんど配慮がなされていない。

質疑応答.JPG写真:質疑応答の様子

また、障害者スポーツ競技者の施設利用の調査を行った結果、バリアフリーであること、障害者に配慮した駐車場が整備されていることなどを重視していることがわかった。また、多くの競技者が自動車で1時間以上かけて練習場に来ており、場所の確保に苦労していることが明らかとなった。今後は一般のスポーツ施設でも障害者が利用しやすいよう、ハード面、ソフト面での改善が求められる。

 2015年5月22日から24日にかけて、千葉県にあるポートアリーナにて、(公財)日本障がい者スポーツ協会日本パラリンピック委員会と日本ウィルチェアーラグビー連盟主催のジャパンパラ ウィルチェアーラグビー競技大会が開催され、日本、イギリス、デンマーク、ニュージーランドの4か国の代表チームによる計10試合が行われた。22日~24日にかけて計6試合を本研究会研究員が観戦した。

 現在世界ランキング4位の日本は、他の参加国が5位、6位、8位であることもあり、優勝必至とプレッシャーのかかる試合であったが、5位との力の差を見せつけるべく、日本代表チームは6戦6勝で見事優勝を飾った。

 全試合に現役選手による選手の経歴や、ルール、戦術などについて詳細な解説が会場内に放送されたので、初めての観戦者でも試合を十分に理解し楽しむことができた。

 大会前に日本選手8名が小学校を訪れ、講演、体験会、デモンストレーションなどを行い、22日には、会場近隣の小学校3校から小学生700名の応援があった。土日にも小学生の姿が複数あり、閉会式後には、「クラスで自慢する!」といって代表選手にサインを求める姿も見られた。

 連日、体験会も開催され、子どもから大人まで数十名の参加があった。現役選手によるタックルの衝撃の強さや、車いす操作の難しさを実感する機会となった。日本選手の活躍だけでなく、競技の普及に向けた取り組みの充実ぶりを実感することのできる大会であった。解説を聞き、また競技の体験で実際に目で見たり触れたりすることで、競技の魅力をより一層深く知るだけでなく、選手に対してアスリートとしての尊敬のまなざしを向ける機会ともなったことが強く感じられた。

2015年5月26日(金)、立教大学社会福祉研究所主催の連続公開講座 第41回「社会福祉のフロンティア」が開かれ、本研究会代表の小倉和夫が、「パラリンピックとは何か - その歴史と課題」と題して講演を行いました。

立教大学公開講座の様子.jpg

写真:講演の様子(本研究会代表:小倉和夫)

障害者スポーツ大会の紹介に始まり、パラリンピックの概要、日本が開催したパラリンピック大会、日本選手の参加とメダル獲得数、パラリンピックの課題(①参加国、②選手の男女別内訳、③クラシフィケーション、④アマチュアリズムとプロフェッショナリズム、⑤オリンピックとの融合、⑥メディアによる報道、⑦コストとスポンサーシップ、⑧競技能力の向上、⑨ドーピング、⑩用具の開発、⑪文化プログラム等)、パラリンピックの社会的意義について、これまでの調査研究成果を基に、様々な視点からの問題提起を含めて論じました。質疑応答では、「パラリンピックを知っているようで知らなかった」とのコメントも寄せられました。

同講座では、立教大学コミュニティー福祉学部スポーツウエルネス学科の松尾哲也教授による「東京パラリンピックと障害者スポーツの課題」の発表に加え、同学科の安藤佳代子助教から「障がい者スポーツ支援の具体的な動きとお誘い」として、大学授業における障害者スポーツへの取組みも紹介されました。

日本財団パラリンピック研究会紀要

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日本財団パラリンピック研究会紀要Vol.2 別冊.pdf

 ~第2号目次~

 研究論文

  • 東京パラリンピックの文学                                                                 

小倉和夫                1

  • 1976年トロントリンピアードと2010年バンクーバー・パラリンピック冬季大会のレガシー  

デイビッド F.H. レッグ              11

  • 1988年ソウル・パラリンピックがもたらした成果とレガシー                         

全 惠子(チョン・ヒェザ)             41

  • パラリンピックにおける日本および各国代表の成績

番定賢治     59

  • 2020年東京大会に向けた「オリンピック・パラリンピック教育」に関する一考察

―IPCの「パラリンピック教育」の定義と過去の事例分析から―

大林太朗          69

  • 日韓パラリンピック・セミナー開催報告「2018年ピョンチャン・2020年東京大会に向けて」

佐藤宏美          81

  • 執筆者一覧                                                                                                   

105

 別冊 

  • 障害のある人にとっての競技場のアクセシビリティ

―観客として、競技者として―    

川内美彦、前田有香

日本財団パラリンピック研究会紀要

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 ~第1号目次~

  • 発刊の言葉                                                                                               小倉和夫                3

 研究論文

  • 1964年東京パラリンピックが残したもの                                                       小倉和夫                5
  • 国内外一般社会でのパラリンピックに関する認知と関心                                佐藤宏美              45
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TOKYO2020 パラリンピック対談

障害者と芸術の関係を通して芸術の新しい姿を探る

第2回 宮田亮平さん:東京藝術大学学長、金工作家

対談シリーズは動画でもご覧いただけます。(下記リンクから新しいウィンドウで開きます)

バナー第2回東京藝術大学 宮田学長.jpg東京MX特設ページ(外部リンク)


日本文化を"再発見"する機会に

対談にのぞむ二人 宮田学長(右)と小倉代表(左).jpg写真:対談シリーズ第2回 宮田亮平さん(右)と小倉和夫(左)

小倉 オリンピックはスポーツの祭典であると同時に、文化の祭典でもあります。オリン ピック憲章はスポーツと文化と教育の融合をうたっており、オリンピック組織委員会は、複数の文化イベントからなる文化プログラムを計画しなければならないと規定しています。宮田学長は2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の文化・教育委員会委員長に就任されましたが、抱負をお聞かせ下さい。

文化プログラムについて話す宮田学長.jpg写真:東京藝術大学 宮田亮平学長

宮田 芸術や文化でオリンピック・パラリンピックに貢献できるというのは大変に素晴らしい。2012年のロンドン大会では、大会開催の4年前から、ロンドンだけでなくイギリス全土で約18万にも及ぶ文化イベントが実施されました。音楽や演劇、ダンスや美術、文学、映画、ファッションなどさまざまなジャンルの催しを通して、イギリス文化が世界中に発信されたわけです。近代オリンピック史上、最大の規模となったこのロンドン大会の文化プログラムが、大変に参考になるのではないかと思っています。

小倉 スポーツ大会自体はせいぜい2週間ですが、文化プログラムは、何カ月、何年も実施することができます。日本の芸術や文化を世界に伝えるいい機会になります。

宮田 長期間ではなかったのですが、ドイツに留学した経験があります。その時に、美術館の館長さんに「あなた方、日本人は日本文化を素晴らしいことでも何でもないと思っているかもしれないが、私たちにとっては驚嘆に値することがたくさんある」と言われて、驚いたことがありました。日本人にとっては普通のことでも、海外の人たちからするとまるで違う捉え方をするわけです。私にとってとても貴重な体験でした。

小倉 日本人自身、そうした事実をあまり自覚していないところがありますね。

宮田 ですから日本文化を海外に発信するだけでなく、東京大会を機に国内にも発信していきたいと思っています。身近にあるものが実は素晴らしい価値を持つものなのだということに気づき合おうということです。

小倉 日本人自身が日本文化を再発見するチャンスにもしたい、と。

宮田 ええ、文化プログラムを単なるイベントとして終わりにしたくないと思うのです。日本には四季があり、春に行ったことは次の春に、夏に行ったことは次の夏に、また巡ってきます。そうした形で文化を深く根付かせていくことができるのではないでしょうか。それを日本全国で行うのです。ロンドンを上回る規模で日本ならではの文化イベントを展開し、日本全国が芸術・文化的に大いに盛り上がり、2020年以降も続いていく。それは十分可能だと思います。

小倉 東京でオリンピック・パラリンピックが開催されるわけですが、伝統的な江戸文化と日本文化をどのように絡ませていけばよいでしょう。

宮田 面白い着眼点をいただきました。江戸文化の対称として、京文化も語らなければならないでしょう。さらに、日本文化、東アジア文化と広げて考える中から、江戸文化を捉えるのも面白いかもしれません。


触感にも訴えるモニュメントを

小倉 東京大会に向けて、ご専門の金属工芸分野で何か新しい挑戦をしてみようと思うことはありますか?

宮田 上野の西郷(隆盛)さんや渋谷の忠犬ハチ公などの銅像は、大先輩である高村光雲さんや安藤照さんが作られています。私事で恐縮ですが、東京駅の銀の鈴は私が制作させていただきました。こうしたモニュメントは、待ち合わせ場所の目印にもなっています。東京大会を機に、人々の心のよりどころとなるようなランドマークを作っていったら面白いかなと思っています。

対談をすすめる二人 小倉代表(奥).jpg写真(奥):当研究会代表小倉和夫

小倉 1998年の長野パラリンピックの時にある町では、パラリンピックのシンボルマークを彫刻にして町の真ん中に置きました。彫刻ですと視覚障害の方も触わって楽しむことができます。ぜひ触れることのできるモニュメントを作っていただきたいですね。

宮田 個展会場で私は、どうぞ作品に触ってくださいと言います。眺めるだけではプラトニックラブで、恋は生まれません。実際に触ってください。そうしたら欲しくなりますよと(笑)。それは冗談ですが、触感というのは重要で、指先だけでなく手のひら全体で触ってもらう。そうすると、見ただけでは味わえないような何かが伝わってくるはずです。


"障害はプラス"という逆転の発想

小倉 障害者芸術と言っても、障害者による表現活動、障害者をテーマとした芸術、そして障害者が芸術を鑑賞するための環境と、さまざまな側面があります。東京藝大では、障害者と芸術というテーマに取り組んでこられたそうですが、どのような内容ですか。

宮田 2011年から、「障がいとアーツ」というプロジェクトを主催しています。これは、障害を持つ方もそうでない方も、分け隔てなく一緒に楽しむことができる空間をつくり、多くの人たちが共有できる芸術の新しい姿を探し求めていこうという事業です。

このプロジェクトで心がけたのは、まず健常者を軸にした考え方を取り払おうということでした。健常者と障害者の境目をなくすことで、新しい世界が開けるのではないかと考えたわけです。目をふさぐなど自分で障害を作ってみて、そこから考えていくと何か発見があるのではないかと。例えば私の専門である鍛金(たんきん)では、目を使わなくても、耳でその作品の良し悪しが分かります。

小倉 金属をたたいて成形していきますから、その時の音で分かるのですね。

宮田 学生たちの作品を見なくても、彼らがたたいている音を聞くだけで、「あいつはまだまだだ」とか、「こいつはいい物を作っている」とかが分かってきます。あえて視覚を使わないことで、聴覚が磨かれてくるのでしょうね。そうすることによって、眠っていた感性が呼び覚まされるということがあります。だから障害は、武器にもなり得るのです。

学生の作品についてふれる宮田学長.jpg写真:「障害とアーツ」プロジェクトについて

小倉 逆転の発想ですね。

宮田 私たちはどうしても、障害者に対して心象的なフィルターを作ってしまいがちです。かわいそうだとか、何かしてあげたいとか。そういう意識はもうやめにしようと。そうした発想から、「障がいとアーツ」に取り組んできました。

このプロジェクトで、知的障害の方たちに舞台に上ってもらったことがあります。オーケストラのいるステージで、演奏者の横に座っても、歩き回ってもいいんです。指揮者の横で面白がって指揮の真似をしたり、コントラバスの横であの重低音を風圧で感じ取ったりする。そういった刺激によって感じとった感想というのは、私たちが感じる音楽の捉え方とまるで異なっています。それもまた芸術の再発見につながっていくのです。

小倉 確かに太鼓などは耳が聞こえなくても振動で伝わってくると言いますね。

宮田 それから私が大切にしているのは「気」です。

小倉 精神ですか?

宮田 そうです。障害をマイナス思考でなく、プラス思考で捉えることも大切です。健常者は五体満足と言いますが、よく考えたら全部平らなだけで、全部足しても5にしかならない。でも、障害者の方で一つの感覚が飛び抜けていたら、足した時には5以上に、6とか7、8になるかもしれません。芸術の分野では創造的な作品を生み出す可能性が高いということです。


障害者芸術の価値

対談をすすめる小倉和夫.jpg写真:対談をすすめる小倉

小倉 健常者の芸術作品の場合、音楽はコンクール、絵画は展覧会などで評価されます。それなら障害者の芸術に関して、それを健常者と同じように考えるのが適当なのでしょうか?それとも障害者芸術という独特の世界の中で、別の尺度をもって考えるべきなのでしょうか?

宮田 少し難しい問題ですが、ステージを変えて見れば評価は変わらないと思います。例えば、ダウン症の書家、金澤翔子さんの書にはすごい迫力があります。一点にかける思いの強さというのでしょうか。現在の書家といわれる立派な先生方よりもずっといいんです。こんなことを言ったら叱られるかもしれませんが(笑)。芸術の基本は、感動、ときめきですから。健常者の場合は、平均点よりちょっと上ぐらいの上手さというのは誰でも到達できると思うのですが、彼女ぐらい突出するのはとても難しいような気がします。

小倉 芸術作品というのは、自分の評価と他人の評価があると思います。健常者の場合は、自己評価と他者評価が違うということもありますが、それがあまりにもかけ離れているということは普通考えられません。でも障害者の場合、作品を評価する多くは健常者ですから、他者評価と自己評価が大きく食い違うということが起こります。ですから、障害者の持っている価値観を尊重しないといけないのではないかと思うのです。周囲の人も一緒に参画するような気持ちで障害者芸術を考えていくべきだと思いますね。


障害者芸術のプロデューサーが必要

障害者芸術のプロデューサーの重要性について話す宮田学長.jpg写真:障害者芸術のバックアップ体制の重要性について話す宮田学長

宮田 例えば"裸の大将"として知られる画家の山下清さんには、精神科医の式場隆三郎先生というよき理解者がいてバックアップしていましたよね。山下さんは絵を描く時はすごく集中するのですが、それ以外の時はすぐにどこかへ行ってしまう。彼と社会との結びつきを上手に作ってあげた式場先生の存在があったから、あれほど素晴らしい作品を残せたのだと思います。金澤翔子さんにしても、書家であるお母様が社会との接点となって、素晴らしい書を生み出せる環境を常に作り出しています。

小倉 障害者芸術にとって、そうした存在は欠かせないですね。  

宮田 障害者芸術の場合、スポークスマンや伝道者のような存在が重要です。彼らのやってきたことはもっと注目されるべきでしょうね。その仕事を生涯のプライドとするような人材を育てることも、重要だと思います。

小倉 藝大には、そうした人材を育てるアートマネージメント学科のようなものはあるのですか?

宮田 現在、準備しているところです。表現者だけでなく、表現者をサポートする人材も育成していく必要がありますからね。実は学長というのは、そうした伝道者に近い存在です。私は「芸術の行商人」と言っていますが...。


後世に語り継がれる芸術作品を

小倉 1964年の東京オリンピックの時に市川昆監督が『東京オリンピック』という記録映画を作りました。いろいろな意味で論争を引き起こしましたが、非常に優れた芸術作品だと思います。今度の東京オリンピック・パラリンピックで、それ自体をテーマにして何か芸術作品を生み出すことはできませんか?

宮田 素晴らしいアイデアですね。来年のリオデジャネイロ大会の前に準備をして、大会が終わった時点から物語を作っていく。ドキュメンタリー映画でも、物語性のある彫刻作品でもいいかもしれません。

小倉 バレエなども面白そうですね。

宮田 オペラなどもいいかもしれません。歌舞伎にしてもいい。日本文化の表現力を生かした、2020年以降も上演されていくようなレベルの高い作品ができたら画期的ですね。

小倉 2020年の東京パラリンピックは、日本の社会のあり方を考える重要な機会だと考えていますが、パラリンピック研究会で調査したところ、パラリンピックという言葉は国内で十分に知られているが内容はあまり知られていないことがわかりました。2020年に向けて、パラリンピックに関する社会啓発が重要だと考えています。人の心を最も強く打つのは、人間のドラマです。障害者の方が障害を克服してパラリンピックに出場するまでの物語を演劇やオペラ、バレエに仕立てて上演したら、人々はパラリンピックについてより多くを理解するようになります。感動的な人間ドラマを通じて、障害者スポーツの持つ意味が社会全体に浸透していくのではないでしょうか。

宮田 いいですね。

小倉 パラリンピックをテーマにした芸術作品はまだありません。宮田学長がプロデューサーになって東京藝大で、パラリンピックが社会に浸透するような芸術作品を作っていただきたいものです。

宮田 私たちには障害者芸術に関わってきた下地があります。既成概念のない若者に呼びかけて、ぜひとも実現したいですね。2020年という目標に向かって学生も教員も大いに燃えると思いますよ。

対談を終えて.jpg写真:対談を終えて


【Profile】

宮田プロフィールフォト.jpg宮田亮平 東京藝術大学学長。1945年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程工芸専攻修了。美術学部長、副学長・理事を経て、2005年より学長。金工作家として活躍し、イルカがモチーフの「シュプリンゲン」シリーズなど作品多数。日展内閣総理大臣賞、日本芸術院賞などを受賞。文化審議会会長。2015年、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の文化・教育委員会委員長に就任。

 

小倉プロフィールフォト.jpg

小倉和夫

日本財団パラリンピック研究会代表。1938年生まれ。外務審議官、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長などを歴任。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致では評議会事務総長を務める。青山学院大学特別招聘教授。

 

TOKYO2020 パラリンピック対談

スポーツや芸術活動を通じて障害者が自己表現する場を広げる

第1回(2015年3月18日) 牧阿佐美さん:バレリーナ、振付家

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バナー用対談シリーズ-第1回.jpg

東京MX特設ページ(外部リンク)


体を作るには長い時間がかかる

牧阿佐美さんと当研究会小倉の写真.jpg

写真:対談ゲスト牧阿佐美さん(右) 聞き手小倉和夫(左)

小倉 オリンピックの開催に関して、問題視されることの一つに、行き過ぎた商業主義があります。オリンピックのあり方として、かつてはアマチュアリズムが尊重され、競技を通してお金を稼いだり宣伝に使ったりするのは良くないことだと言われていました。しかし最近では全く逆になってきて、なるべく多くの企業にスポンサーになってもらった方がいいというようになっています。

  そうですね。選手に関しても、競技によってはプロのトッププレイヤーが数多く参加していますね。

小倉 パラリンピックの方は障害者のスポーツなのでアマチュア選手も多くいるようですが、国や種目によってはプロフェッショナル化が進んでいるのも事実です。今後はプロとアマの関係というのはオリンピックに近いものになるかもしれません。バレエ界では、プロとアマの関係はどうなっていますか?

  プロとアマの違いって大きいですよ。技術的にはプロに近いアマチュアの方もたくさんいるのですが、バレエは技術だけではありません。音楽や作品を解釈して表現する力が重要になってきます。プロになるためには、その両方を持っていなければなりません。最近の傾向として、少しプロ寄りのアマチュアが増えてきているように思えます。アマチュアの良さというのもある程度残した方がいいので、そのバランスが難しいですね。

小倉 日本ではプロのパラリンピック選手はほとんどいませんが、海外には結構いるのです。そこで何が起こるかというと、精神面での差が勝負に出てくる。プロでやっていると、自分の生活がかかっているので、精神的な入れ込み方が違ってくるようです。日本の場合、皆さん非常に一生懸命やっているのですが、いざ試合になると精神的な面で外国人選手、特に欧米選手に負けてしまったという方がけっこういます。プロ意識ということに関して、バレエの世界ではどうですか?

  プロになる人たちって精神的に本当に強いです。途中で止めるということはなく、自分で最後までとことんやり抜く。バレエの場合、基礎の体を作るのに時間がかかります。10年ではアマチュアで、30年ぐらいかかる。20年ぐらいするとだんだん良くなってくるのですが、全員がプロになれるわけではありません。

小倉 厳しい世界ですね。

  バレエの場合、体から無駄なものをそぎ落とし、中から体をきれいにしないといけません。こうした体ができて初めて様々な表現が可能になります。ただ単に喜んで踊っても、誰も感動してくれない。そうした基礎をしっかり勉強するためには相当強い忍耐力、精神力が必要です。

小倉 最初からプロになろうと思って入門するわけですか?

  そうです。小さい時からプロになろうと思ってやってくる人が多い。もちろん趣味として楽しむ方も多いのですが、最初からプロを目指す人が増えています。新国立劇場ができて、いろいろとバレエを見る機会が増えたためだと思います。


呼吸法が体を鍛え、感性を磨く

小倉 パラリンピックに出場した日本選手の感想文を読んでいると、「競技の技術力では遜色はないけれど、基礎体力で負けてしまった」と言っている人が多い。これは企業などに勤めて、その道一筋とはいかず、練習時間も週末しかないというような方が多いからだと思います。基礎体力の訓練に関して、バレエではどのように行なっていますか?

  私たちはルイ14世の頃に作られた基礎訓練をいまだにやっているわけですが、それがバレエダンサーの体をきれいにして強くするには一番いい方法です。バレエのバーを使った訓練をアメリカのバスケットボールのチームが採用して、足腰を鍛えるのに役立ったという報告がありますが、それだけ基礎体力を養うには適しているのです。それから大切なのは呼吸です。

お話される牧阿佐美さん.jpg写真:身振り手振りを添えてお話される牧さん

小倉 呼吸ですか?

  長く静かに呼吸できるようになると、それが筋肉を鍛えていきます。呼吸がきちんとできている子の筋肉は細いのですが強い。太いから強いということはなくて、細くても強いのです。そうした呼吸ができている子は音楽への感性も磨かれていきます。

小倉 日本の伝統芸能でも呼吸は大切だと言いますね。能でも鼓と謡を合わせる時には呼吸で合せていくと言いますから。

  バレエでもダンサーたちの呼吸が揃っていれば、いつでも合わせることができます。踊っている最中でもよくものが見えて、自分が多くの人の中でどんなことをやっているのかを理解できるようになると、呼吸も楽になり体も柔らかくなっていきます。


心のバリアフリーが大切

小倉 目の見えない方のバレエのグループはありますか?

  日本にはないのですが、アメリカにはそういうグループがあるそうです。ただ、クラシックバレエではなく、モダンバレエです。与えられた情景を思い浮かべながら、自由に創作して踊るようです。

小倉 耳の聴こえない方がバレエを踊るということはあるのでしょうか?

  バレエは音楽に合わせて踊るので、難しいでしょうね。でも新国立劇場のバレエ研修所では年に1回、耳の聴こえない小さなお嬢さんたちに研修所の発表会を見てもらい、その後でバレリーナたちとスタジオでバーを使って一緒に踊ってもらっています。耳は聴こえないのですが、みな喜んでやっていますね。目が見えなくても耳が聴こえなくても、体を動かすことが好きなのだと思います。できる範囲で、いろんな感動を覚えながらダンスを楽しむというのは大切なのではないでしょうか。

小倉 視覚障害、聴覚障害の方のダンスは見たことがないのですが、知的障害の方のダンスは見たことがあります。グループもいろいろあるようですね。

  障害があっても、みなさん踊りたいという欲求はあります。上手とか下手とか考えないで、体を動かすこと自体が快感なのだと思います。

議論を深める二人の写真.jpg写真:当研究会代表小倉和夫

小倉 今度の東京大会では、障害者と健常者のバリアを取り払って、一緒に何かできないかという意見が出ています。オリンピックとパラリンピックでは運営方法が異りますが、同じような精神でやったらどうかと。選手の方も一緒にプレイしたらどうかと言う人さえいます。

  私の知り合いに、年をとって視力を失ってからも踊り続けるキューバ人のバレリーナがいます。彼女は国際バレエコンクールの審査員も務めています。まったくの全盲というわけではなく、うすぼんやりとは見えるらしいのですが、この人の採点が素晴らしいのです。本当に勘のいい人で、私たちが見てもいいなあと思うダンサーに対してはきちんと評価する。もしかしたら見えるのではないかと思うくらい的確なのです。

小倉 そういう方がいらっしゃるのですね。

  彼女の存在を目の当たりにして、障害者の方に対する意識がずいぶんと変わりました。

小倉 障害者に優しい街づくりなどハード面のバリアフリーとともに、そうした心のバリアフリーというのも重要です。

  社会の第一線で活躍する障害者の数が増えてくれば、私たちの意識も自ずと変わっていくのでしょうね。ですから、企業などでもできるだけ多くの障害者の方を雇用して、実力に応じたポジションを用意したら、日本社会もだいぶ変わると思います。今度のパラリンピックがそうしたことの契機になればいいですね。


芸術活動を通じて、障害者の自己表現を  

小倉 車椅子ダンスがパラリンピック種目の候補に挙がっています。芸術活動かスポーツかということで議論が分かれているようですが、車椅子でバレエは可能ですか?

  車椅子でバレエ独特の動きを表現するのは難しいと思います。

小倉 義足の方はどうですか?

牧  義足ですとある程度可能だと思います。

小倉 義足も進化していますからね。今話題になっている義足のランナーがおりまして、この人がオリンピックのランナーとほぼ同じスピードで走れると言いますからね。

  そうした義足をつけて、練習を積めば健常者に近い動きも可能だと思います。

小倉 まだ義足のバレエダンサーはいないのですか?

  日本にはいません。でもバレエを教えている方はいらっしゃいます。バレエのステップ名を言いながら、手で表現して教えています。それに義足ではない足の方で表現することもできますから。教師としてはいるのですが、舞台に立つ人はまだいないです。

小倉 海外ではどうですか?

  義足のバレエダンサーの発表会があるという話は聞いたことがありますが、プロの方はいないようですね。

小倉 障害者を主人公にしたバレエ作品というのはあるのですか?

  英国ロイヤル・バレエ団のレパートリーに、すこし知的障害がある、天真爛漫な子どもを主役にしたものがあります。フレデリック・アシュトンの作品で『ラ・フィユ・マル・ガルデ(リーズの結婚)』です。牧阿佐美バレヱ団のレパートリーにもなっています。でも義足の方が主人公のバレエはないですね。

小倉 それなら、ぜひ一つ創作していただいて(笑)。

  義足の方を主役にしたバレエを、義足のバレエダンサーたちが踊ったら素敵ですね。

大いに議論をふかめる二人.jpg写真:対談の様子。小倉(写真左)牧さん(写真右)

小倉 かつて障害者はなるべく表に出さないようにしようという考え方が日本では主流でした。そのため障害者自身も周囲の方も障害者が表に出て活動することに抵抗がありました。しかしそんなことではいつまで経っても、社会の中の立派な一員として活躍していただけるようにならないというので、障害者は隠さないで表に出て積極的に活動してもらおうという考えに変わってきています。そういった意味で、障害者の方にスポーツや芸術活動などを積極的に行なっていただき、自己表現の場を広げていってもらいたいですね。

  パラリンピックに向けて、そうした動きがさらに活発になっていくといいですね。

小倉 最近では、義足や車椅子の方のファッションショーなどが開催されるようになってきています。今後は、芸術活動やスポーツ活動を楽しむ障害者の方のアクティブな姿を通じて、「障害を持った方はむしろ美しい」といった新しい価値観や美意識を育てていくことも必要だと思います。


【Profile】

牧さんプロフィールフォト.jpg

牧阿佐美 

新国立劇場バレエ研修所長。1956年、母橘秋子と共に牧阿佐美バレヱ団を設立。1971年より、牧阿佐美バレヱ団主宰者、橘バレヱ学校校長として、日本を代表する舞踊手を数多く育成、振付家としても活躍している。1999年、新国立劇場舞踊芸術監督に就任。2008年、文化功労者に選ばれる。

小倉プロフィールフォト.jpg

小倉和夫

日本財団パラリンピック研究会代表。1938年生まれ。外務審議官、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長などを歴任。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致では評議会事務総長を務める。青山学院大学特別招聘教授。