TOKYO2020 パラリンピック対談
障害者と芸術の関係を通して芸術の新しい姿を探る
第2回 宮田亮平さん:東京藝術大学学長、金工作家
対談シリーズは動画でもご覧いただけます。(下記リンクから新しいウィンドウで開きます)
日本文化を"再発見"する機会に
写真:対談シリーズ第2回 宮田亮平さん(右)と小倉和夫(左)
小倉 オリンピックはスポーツの祭典であると同時に、文化の祭典でもあります。オリン ピック憲章はスポーツと文化と教育の融合をうたっており、オリンピック組織委員会は、複数の文化イベントからなる文化プログラムを計画しなければならないと規定しています。宮田学長は2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の文化・教育委員会委員長に就任されましたが、抱負をお聞かせ下さい。
宮田 芸術や文化でオリンピック・パラリンピックに貢献できるというのは大変に素晴らしい。2012年のロンドン大会では、大会開催の4年前から、ロンドンだけでなくイギリス全土で約18万にも及ぶ文化イベントが実施されました。音楽や演劇、ダンスや美術、文学、映画、ファッションなどさまざまなジャンルの催しを通して、イギリス文化が世界中に発信されたわけです。近代オリンピック史上、最大の規模となったこのロンドン大会の文化プログラムが、大変に参考になるのではないかと思っています。
小倉 スポーツ大会自体はせいぜい2週間ですが、文化プログラムは、何カ月、何年も実施することができます。日本の芸術や文化を世界に伝えるいい機会になります。
宮田 長期間ではなかったのですが、ドイツに留学した経験があります。その時に、美術館の館長さんに「あなた方、日本人は日本文化を素晴らしいことでも何でもないと思っているかもしれないが、私たちにとっては驚嘆に値することがたくさんある」と言われて、驚いたことがありました。日本人にとっては普通のことでも、海外の人たちからするとまるで違う捉え方をするわけです。私にとってとても貴重な体験でした。
小倉 日本人自身、そうした事実をあまり自覚していないところがありますね。
宮田 ですから日本文化を海外に発信するだけでなく、東京大会を機に国内にも発信していきたいと思っています。身近にあるものが実は素晴らしい価値を持つものなのだということに気づき合おうということです。
小倉 日本人自身が日本文化を再発見するチャンスにもしたい、と。
宮田 ええ、文化プログラムを単なるイベントとして終わりにしたくないと思うのです。日本には四季があり、春に行ったことは次の春に、夏に行ったことは次の夏に、また巡ってきます。そうした形で文化を深く根付かせていくことができるのではないでしょうか。それを日本全国で行うのです。ロンドンを上回る規模で日本ならではの文化イベントを展開し、日本全国が芸術・文化的に大いに盛り上がり、2020年以降も続いていく。それは十分可能だと思います。
小倉 東京でオリンピック・パラリンピックが開催されるわけですが、伝統的な江戸文化と日本文化をどのように絡ませていけばよいでしょう。
宮田 面白い着眼点をいただきました。江戸文化の対称として、京文化も語らなければならないでしょう。さらに、日本文化、東アジア文化と広げて考える中から、江戸文化を捉えるのも面白いかもしれません。
触感にも訴えるモニュメントを
小倉 東京大会に向けて、ご専門の金属工芸分野で何か新しい挑戦をしてみようと思うことはありますか?
宮田 上野の西郷(隆盛)さんや渋谷の忠犬ハチ公などの銅像は、大先輩である高村光雲さんや安藤照さんが作られています。私事で恐縮ですが、東京駅の銀の鈴は私が制作させていただきました。こうしたモニュメントは、待ち合わせ場所の目印にもなっています。東京大会を機に、人々の心のよりどころとなるようなランドマークを作っていったら面白いかなと思っています。
小倉 1998年の長野パラリンピックの時にある町では、パラリンピックのシンボルマークを彫刻にして町の真ん中に置きました。彫刻ですと視覚障害の方も触わって楽しむことができます。ぜひ触れることのできるモニュメントを作っていただきたいですね。
宮田 個展会場で私は、どうぞ作品に触ってくださいと言います。眺めるだけではプラトニックラブで、恋は生まれません。実際に触ってください。そうしたら欲しくなりますよと(笑)。それは冗談ですが、触感というのは重要で、指先だけでなく手のひら全体で触ってもらう。そうすると、見ただけでは味わえないような何かが伝わってくるはずです。
"障害はプラス"という逆転の発想
小倉 障害者芸術と言っても、障害者による表現活動、障害者をテーマとした芸術、そして障害者が芸術を鑑賞するための環境と、さまざまな側面があります。東京藝大では、障害者と芸術というテーマに取り組んでこられたそうですが、どのような内容ですか。
宮田 2011年から、「障がいとアーツ」というプロジェクトを主催しています。これは、障害を持つ方もそうでない方も、分け隔てなく一緒に楽しむことができる空間をつくり、多くの人たちが共有できる芸術の新しい姿を探し求めていこうという事業です。
このプロジェクトで心がけたのは、まず健常者を軸にした考え方を取り払おうということでした。健常者と障害者の境目をなくすことで、新しい世界が開けるのではないかと考えたわけです。目をふさぐなど自分で障害を作ってみて、そこから考えていくと何か発見があるのではないかと。例えば私の専門である鍛金(たんきん)では、目を使わなくても、耳でその作品の良し悪しが分かります。
小倉 金属をたたいて成形していきますから、その時の音で分かるのですね。
宮田 学生たちの作品を見なくても、彼らがたたいている音を聞くだけで、「あいつはまだまだだ」とか、「こいつはいい物を作っている」とかが分かってきます。あえて視覚を使わないことで、聴覚が磨かれてくるのでしょうね。そうすることによって、眠っていた感性が呼び覚まされるということがあります。だから障害は、武器にもなり得るのです。
小倉 逆転の発想ですね。
宮田 私たちはどうしても、障害者に対して心象的なフィルターを作ってしまいがちです。かわいそうだとか、何かしてあげたいとか。そういう意識はもうやめにしようと。そうした発想から、「障がいとアーツ」に取り組んできました。
このプロジェクトで、知的障害の方たちに舞台に上ってもらったことがあります。オーケストラのいるステージで、演奏者の横に座っても、歩き回ってもいいんです。指揮者の横で面白がって指揮の真似をしたり、コントラバスの横であの重低音を風圧で感じ取ったりする。そういった刺激によって感じとった感想というのは、私たちが感じる音楽の捉え方とまるで異なっています。それもまた芸術の再発見につながっていくのです。
小倉 確かに太鼓などは耳が聞こえなくても振動で伝わってくると言いますね。
宮田 それから私が大切にしているのは「気」です。
小倉 精神ですか?
宮田 そうです。障害をマイナス思考でなく、プラス思考で捉えることも大切です。健常者は五体満足と言いますが、よく考えたら全部平らなだけで、全部足しても5にしかならない。でも、障害者の方で一つの感覚が飛び抜けていたら、足した時には5以上に、6とか7、8になるかもしれません。芸術の分野では創造的な作品を生み出す可能性が高いということです。
障害者芸術の価値
小倉 健常者の芸術作品の場合、音楽はコンクール、絵画は展覧会などで評価されます。それなら障害者の芸術に関して、それを健常者と同じように考えるのが適当なのでしょうか?それとも障害者芸術という独特の世界の中で、別の尺度をもって考えるべきなのでしょうか?
宮田 少し難しい問題ですが、ステージを変えて見れば評価は変わらないと思います。例えば、ダウン症の書家、金澤翔子さんの書にはすごい迫力があります。一点にかける思いの強さというのでしょうか。現在の書家といわれる立派な先生方よりもずっといいんです。こんなことを言ったら叱られるかもしれませんが(笑)。芸術の基本は、感動、ときめきですから。健常者の場合は、平均点よりちょっと上ぐらいの上手さというのは誰でも到達できると思うのですが、彼女ぐらい突出するのはとても難しいような気がします。
小倉 芸術作品というのは、自分の評価と他人の評価があると思います。健常者の場合は、自己評価と他者評価が違うということもありますが、それがあまりにもかけ離れているということは普通考えられません。でも障害者の場合、作品を評価する多くは健常者ですから、他者評価と自己評価が大きく食い違うということが起こります。ですから、障害者の持っている価値観を尊重しないといけないのではないかと思うのです。周囲の人も一緒に参画するような気持ちで障害者芸術を考えていくべきだと思いますね。
障害者芸術のプロデューサーが必要
写真:障害者芸術のバックアップ体制の重要性について話す宮田学長
宮田 例えば"裸の大将"として知られる画家の山下清さんには、精神科医の式場隆三郎先生というよき理解者がいてバックアップしていましたよね。山下さんは絵を描く時はすごく集中するのですが、それ以外の時はすぐにどこかへ行ってしまう。彼と社会との結びつきを上手に作ってあげた式場先生の存在があったから、あれほど素晴らしい作品を残せたのだと思います。金澤翔子さんにしても、書家であるお母様が社会との接点となって、素晴らしい書を生み出せる環境を常に作り出しています。
小倉 障害者芸術にとって、そうした存在は欠かせないですね。
宮田 障害者芸術の場合、スポークスマンや伝道者のような存在が重要です。彼らのやってきたことはもっと注目されるべきでしょうね。その仕事を生涯のプライドとするような人材を育てることも、重要だと思います。
小倉 藝大には、そうした人材を育てるアートマネージメント学科のようなものはあるのですか?
宮田 現在、準備しているところです。表現者だけでなく、表現者をサポートする人材も育成していく必要がありますからね。実は学長というのは、そうした伝道者に近い存在です。私は「芸術の行商人」と言っていますが...。
後世に語り継がれる芸術作品を
小倉 1964年の東京オリンピックの時に市川昆監督が『東京オリンピック』という記録映画を作りました。いろいろな意味で論争を引き起こしましたが、非常に優れた芸術作品だと思います。今度の東京オリンピック・パラリンピックで、それ自体をテーマにして何か芸術作品を生み出すことはできませんか?
宮田 素晴らしいアイデアですね。来年のリオデジャネイロ大会の前に準備をして、大会が終わった時点から物語を作っていく。ドキュメンタリー映画でも、物語性のある彫刻作品でもいいかもしれません。
小倉 バレエなども面白そうですね。
宮田 オペラなどもいいかもしれません。歌舞伎にしてもいい。日本文化の表現力を生かした、2020年以降も上演されていくようなレベルの高い作品ができたら画期的ですね。
小倉 2020年の東京パラリンピックは、日本の社会のあり方を考える重要な機会だと考えていますが、パラリンピック研究会で調査したところ、パラリンピックという言葉は国内で十分に知られているが内容はあまり知られていないことがわかりました。2020年に向けて、パラリンピックに関する社会啓発が重要だと考えています。人の心を最も強く打つのは、人間のドラマです。障害者の方が障害を克服してパラリンピックに出場するまでの物語を演劇やオペラ、バレエに仕立てて上演したら、人々はパラリンピックについてより多くを理解するようになります。感動的な人間ドラマを通じて、障害者スポーツの持つ意味が社会全体に浸透していくのではないでしょうか。
宮田 いいですね。
小倉 パラリンピックをテーマにした芸術作品はまだありません。宮田学長がプロデューサーになって東京藝大で、パラリンピックが社会に浸透するような芸術作品を作っていただきたいものです。
宮田 私たちには障害者芸術に関わってきた下地があります。既成概念のない若者に呼びかけて、ぜひとも実現したいですね。2020年という目標に向かって学生も教員も大いに燃えると思いますよ。
【Profile】
宮田亮平 東京藝術大学学長。1945年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程工芸専攻修了。美術学部長、副学長・理事を経て、2005年より学長。金工作家として活躍し、イルカがモチーフの「シュプリンゲン」シリーズなど作品多数。日展内閣総理大臣賞、日本芸術院賞などを受賞。文化審議会会長。2015年、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の文化・教育委員会委員長に就任。
小倉和夫
日本財団パラリンピック研究会代表。1938年生まれ。外務審議官、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長などを歴任。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致では評議会事務総長を務める。青山学院大学特別招聘教授。