第12回 ワークショップ
第12回 2015年7月23日
「パラリンピックの最前線-長野から5大会のメダリストに学ぶ」
1990年代半ばに、役所に勤めながらスキーのコーチをしていた頃、障害者スキー長野パラリンピック代表コーチ就任の打診を受け、手探り状態の中で選手の育成を始めた。当時、スポーツではなく福祉の一環とみなされていた障害者スポーツは、認知度も低く予算も厳しい困難な状況からのスタートであった。
1995年に当時中学生だったノルディックスキー選手を発掘し、二人三脚で強化を図ってきた。今や彼は世界のトップアスリートの中でも特に素晴らしいフォームを持つ選手として有名である。
また、あるシットスキー選手は競技を始めるまでは雪が嫌いだったが、競技を始めてからは降雪を待ち望むまでになった。彼らを見て、障害を持つ方が一人でも多くスポーツに親しむようになってほしいと感じる。
現在、企業のスキー部で監督をしているが、企業のバックアップによって用具開発やトレーニング方法が大幅に改善された。その一例として、2014年ソチ大会ではロシア以外の選手が事前に会場に入ることが許可されない中、大学との連携により会場のコースをシミュレータで再現し、強化に役立てたことなどが挙げられる。
われわれは単にメダルを取るために選手の育成をしているのではない。合宿の際には地元の子供たちとの交流を持つようにしているが、それはパラリンピアンが子供たちに勇気を与え、またパラリンピアンたちも子供たちから勇気をもらうような関係を築き上げていくことこそが重要であると考えるからである。