TOKYO2020 パラリンピック対談

能楽に見る"心のバリアフリー"

第3回 観世清和さん:二十六世観世宗家、能楽師

対談シリーズは動画でもご覧いただけます。(下記リンクから新しいウィンドウで開きます)

バナー第3回観世流家元観世清和.jpg

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■武士道から生まれた歩行の美学

対談シリーズ.JPG写真:対談シリーズ第2回 観世清和さん(右)と小倉和夫(左)

小倉 お家元は何かスポーツのご経験はおありですか?

観世 小学生の時に野球に夢中になっていました。中学生の頃は合気道と抜刀術、高校生の頃はゴルフを多少たしなみましたが、中学生時代の合気道が基礎体力づくりには大いに役立ったと思います。

小倉 観世家としては、スポーツをどのように考えておられたのでしょうか?

観世 舞台に立つ上で、足を折ってはいけない、日焼けしてはいけないなどと制約があるのですが、わが家はスポーツを大いに奨励していました。先代も体を動かし汗を流し、無我夢中でやれと申しておりました。夏は海で泳ぎ、冬は山でスキーといった具合に、スポーツを楽しむ家風でした。能楽師たるもの、運動神経がよくないといい舞台は勤められないという考えが父にはあったようです。

観世清和氏.JPG

写真:二十六世観世宗家 能楽師 観世清和さん

小倉 昔居合を習っていた時に、技というのは目の位置が非常に大切だと教わりました。時代劇などで相手を切った後、かっこよく横を向いたりしますが、そういったことはあってはならないと。敵が起き上がってくるかもしれないので、目の位置をしっかりしておかなくてはなりません。能の場合でも目の位置は非常に大切だと思います。舞台で美しい動きを生み出すためにはいろいろとご苦労がおありだと思いますが、いかがですか?

観世 能は歩行の芸術とも言われておりますように、美しく歩くことが基本です。腰を水平に保ち重心の高さを変えずにすり足で歩くことを「ハコビ」と申します。ある時、なぜこのような歩き方をするのですかと素朴な質問を受けた事がございます。その時は能面をかけ、視野が狭まっている状態で重い能装束をつけるからとお答えしました。本質的に言えば、この歩き方は武道から来ているようにも思えます。重い刀を二本腰にさして歩くための武士の心得が「ハコビ」を生んだのではないでしょうか。


不自由さが感性を研ぎ澄ます

小倉 障害者の芸術やスポーツを考える上で大切なのは、障害があるということをネガティブにではなく、もっとポジティブに捉えようということです。普通の人が見えないものが見え、普通の人が聞こえないことが聞こえるということもあるのではないかと思います。能の曲でもそのようなことを表現しているものがあったような気がします。たしか盲人の主人公が、「満目青山は心にあり(見渡す限りの美しい山々が、心の中の目で見ることができる)」と語る曲がありましたね。

観世 『弱法師(よろぼし)』です。

小倉 あれはかえって目が見えないからこそ見えるものがあると言っているような気がします。

観世 『弱法師』は、親に捨てられ、流浪の果てに盲目となり、弱法師と呼ばれる芸能者に身を落とした少年・俊徳丸を主人公とする能です。クライマックスは、浄土があるとされる西に沈む夕陽を拝みながら「満目青山は心にあり、見るぞとよ、見るぞとよ」と心眼が開ける場面です。すべてこの世の中にある社会事象を第三の目で自分は見ることができると言うわけです。目が不自由であることによって他の感覚が研ぎ澄まされ、健常者には見えないもう一つの自分の世界が見えるようになったのです。

小倉 まさしく心眼ですね。

観世 この曲が素敵だなと思うのは、目が不自由だという悲哀の世界だけではなく、健常者に負けないぐらいの誇りをもった障害者の姿を描いていることです。自分はたとえ目が不自由であっても、今、この俗世に生きている人間とは違う世界を見ることができるという、そこにこの曲の魅力があると思います。

小倉 杖の使い方も印象的でした。

観世 竹の杖を胸に当てて、歩行する時に左右を探りながら移動します。常に左右を探るのですが、その時に「心」という字を書きながら進みます。目は不自由ですが心で見るということを表現しているわけです。

小倉代表.JPG写真:日本財団パラリンピック研究会 小倉和夫

小倉 障害者のスポーツや芸術について調査・研究をしているうちに、障害というのはある意味で「制約」だと思うようになりました。制約は単に乗り越えるだけでなく、制約があるからこそ創造的なものが生まれるという側面もあると思うのです。例えば能では面(おもて)をつけますからどうしても見える空間が狭くなります。しかしそれだからこそ、想像を絶するような美的なものが出てくる。制約というものは、芸術的な想像力をかき立てる起爆剤になるのではないかと思いますが、いかがですか? 

観世 同感です。能の演者は非常に束縛された状況の中で演技を致しますので、常に感性が研ぎ澄まされてゆくということになります。またお体の不自由な方が能をご覧になる時には、当然制約された部分で理解されようと努力をなされます。したがって、障害者の方が能を観る時には、よい意味で演者と一体となって相互に想像力を高めてゆく。能は想像力をたくましくして鑑賞する芸術ですので、それは一つの理想的な姿ではないかと思います。


■インドで見た"心のバリアフリー"

小倉 能楽の中には弱者に対する救済の思想があるような気がします

観世 能楽は猿楽から派生しております。猿楽は、神社仏閣が戦乱によって倒壊したり、自然災害によって大損害を被ったりした時に、再建のための勧進を行いました。その伝統を引き継ぎ、能楽師は勧進という寄付集めだけでなく、災害に遭われた方を助けるといったボランティア活動を700年前から続けてきました。実際私も、阪神淡路大震災や東日本大震災の折には義援能をさせていただきました。

小倉 社会貢献活動も行ってきたのですね?

対談する観世氏.JPG写真:身振りをまじえ対談に応える観世さん

観世 観世家でも先代の家元が発案して、知的障害の方への施設建設のための寄付を目的とした演能会を1960年代から20年近く続けてきました。私は当時まだ幼かったのですが、父の出演する『隅田川』の子方を勤めました。先代は少しでもお困りの方のお役にたちたいという気持ちが強かったようです。そうした精神は私も受け継いでおりまして、2年後に銀座に完成致します観世能楽堂はできる限りバリアフリーにしたいと考えております。例えば、取り外しのできる観客席を設けて、車椅子をご使用するお客様からお申し込みをいただいた際には、取り外して車椅子スペースを確保致します。併せて視覚や聴覚に障害をお持ちの方々にも、何らかの対応ができるよう専門家の意見を採り入れてゆこうと思っております。

小倉 そうした物理的なバリアフリーとともに、これからは精神的なバリアフリーも大事になってくると思います。街におられる障害者の方にすぐ手を差し伸べることができるかどうかというのは心の問題です。日本人は親切だし、おもてなしの心がありますが、例えば地下鉄の中で赤ちゃんを抱いたご婦人にみんなでさっと席を譲るかというと、必ずしもそうではない。2020年の東京オリンピック・パラリンピックを契機として、心のバリアフリーも進めていかなくてはならないと思うのです。

観世 非常に大事なことです。私はこれまでに演能のために5、6回ほどインドに伺いました。その時に、たまたま目のご不自由な方が、車の往来が激しい路上に一人たたずんで道を渡ろうとしていました。そこへどこからともなく2人の青年が現れて、その方の腕を抱えて、車を止め、通りの向こうまで安全に連れてゆきました。通訳の方に、あの青年は盲人の知り合いなのかと聞いたところ、通りすがりの人たちだというのです。それを聞いて、本当に感動致しました。何か大きなことではなく、小さなことを積み重ねてゆくことが大切なのだとつくづく思いました。

小倉 心のバリアフリーというのは、一人ひとりの心がけによりますからね。

観世 芸に携わる者はやはり思いやりがなければなりません。人様に対する思いやりがなければ芸の習得はできません。稽古の際は一人でも、いろいろな方々のご協力があってはじめて一つの曲が成り立つわけです。一人よがりの芸などというものは、一瞬咲いたボタンの花のように3日もすれば枯れてしまいます。しかし心のある芸というのは、一瞬咲いて消えても、やはり人の心にいつまでも残っているものです。


■言葉の壁を乗り越える力が能楽にはある

対談の様子.JPG写真:対談の様子

小倉 2020年の東京オリンピック・パラリンピックは、ある意味で日本の文化芸術を世界に広め、理解してもらう絶好の機会だと思います。特に世界文化遺産に指定されている能楽が広く世界に知られるチャンスだと思います。

観世 はい。2020年に向けて、私どもも微力ながらご協力させていただきたいと思っております。特に開会式や閉会式は世界の注目が集まりますから、やはり日本の伝統的な文化の素晴しさが感じられるような演出をお考えいただければと思います。日本は先進技術の進んだ国ですが、やはり古き良き日本の伝統というものを大切にしている国ですので、そうした姿が伝わるようなものにしていただきたいです。

小倉 最近ではかなり立派に能を演じられる外国人の方が増えているように思いますが、能の海外への普及ということに関してはどのようにお考えですか?

観世 やはり言葉の壁が大きいです。日本の方でも、能で演じられている言葉を理解するのは並大抵ではございません。その意味を理解しようと思えば、源氏物語や平家物語など古典文学の素養が不可欠です。しかしそうした素養は一度脇において、とにかく集中して観ていただけたらと思っております。能は音楽劇ですから、音楽を楽しむようにしてご覧いただくことで、感動を得ることができると思います。また新しい観世能楽堂では、イヤホンガイド機能としてタブレット端末に画像とともに数か国語の翻訳も流して理解を助けるようにもしたいと思っております。

小倉 西洋の物語をもとにした新作能などは、海外の方には親しみやすいかもしれませんね。

観世 私はアイルランドの詩人・戯曲家W.B.イエイツが能の影響を受けて書いた詩劇を再び日本で翻案した新作能『鷹の泉』を演じさせていただいた事がございます。この様に新作能をご覧になっていただいて、能に対する興味を持ってもらうのも一つのやり方だと思います。能楽はもともとレクイエムであって、人を供養するのが一番大きなテーマです。鎮魂というのは人類共通ですから、言葉の壁があっても十分それを乗り越える力が能楽にはあると信じています。

対談を終えて.JPG写真:対談を終えて


【Profile】

観世清和氏.jpg観世清和 二十六世観世宗家。1959年生まれ。90年家元を継承。能楽の大成者、観阿弥、世阿弥の流れを汲む観世流の二十六世宗家として、現代の能楽界を牽引する。芸術選奨文部大臣新人賞、フランス文化芸術勲章シュバリエ受章。2012年度(第63回)芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2013年「第33回伝統文化ポーラ賞」大賞受賞。2015年度紫綬褒章受章。重要無形文化財「能楽」(総合指定)保持者。

 

小倉プロフィールフォト.jpg小倉和夫 日本財団パラリンピック研究会代表。1938年生まれ。外務審議官、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長などを歴任。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致では評議会事務総長を務める。青山学院大学特別招聘教授。