TOKYO2020 パラリンピック対談

パラリンピックに向けて心の復興を図る

第6回 浮島とも子さん 衆議院議員

対談シリーズは動画でもご覧いただけます。(下記リンクから新しいウィンドウで開きます)

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■思いやりの心を育てる

浮島とも子さんと小倉和夫

写真:対談シリーズ第6回 浮島とも子さん(右)と小倉和夫(左)

小倉 浮島先生が社会活動に関心をお持ちになったきっかけは何ですか?

浮島 私は2歳半からクラッシックバレエを始め、19歳から香港やアメリカのバレエ団に籍を置いて舞台活動をしておりました。32歳の時に、阪神淡路大震災をニューヨークの自宅で知り、「自分に何かできないか」という思いに駆られ13年ぶりに帰国しました。そして神戸でボランティア活動をしながら、目の前でご両親を亡くした中学生や仮設住宅に暮らしている方たちと接しているうちに、「心の復興」がとても重要だと気付きました。お金を出せばビルは再建されますが、目に見えない心の傷はいつまでも癒やされないかもしれない。それなら、私はもう一つの復興に取り組んでいこう、それがより良い社会を作っていく上で大切じゃないかと思うようになりました。

浮島とも子さん

写真:衆議院議員 浮島とも子さん

小倉 心の復興というのは、実は日本のオリンピックの原点でもあります。1940年の東京オリンピック開催を日本が言い出した時、その原点は関東大震災からの復興でした。それには物理的な意味だけでなく、精神的な復興もあったと思います。この大会は日中戦争の影響で幻のオリンピックとなってしまいましたが、1964年の東京オリンピックもやはり戦後の復興という意味でその延長線上にあったと言えます。2020年東京オリンピック・パラリンピックも東日本大震災の復興の延長線上にあると言えるでしょう。今度の東京オリンピック・パラリンピックに浮島先生は何を期待されますか?

浮島 阪神淡路大震災で精神的な打撃を受けた人々に芸術活動を通して夢と希望を与えるために作った「劇団『夢』サーカス」を今も続けているのですが、最近の子どもたちを見ていると、スマートフォンやゲームなどに夢中になって、人と触れ合う機会がどんどんなくなっているような気がします。多くの人と会って目を見て話をして、いろんなことを学びとっていくということが少なくなっています。すぐキレたりして、子どもたちが本当の心の大切さを見失っているような気がするのです。私たちがこれまで持っていた優しさや思いやりの心を考え直す意味で、2020年の東京パラリンピックはとてもいいきっかけになると思っています。

小倉 思いやりの心をもった子どもたちも多いと思うのですが、それをどう表現していいのか分からないという事があるかもしれませんね。

浮島 思いやりの気持ちを素直に出していけるような社会にしていくことは、子どもたちだけでなく大切なことだと思います。2020年の東京パラリンピックがそうした意識変革への起爆剤になることを期待したいですね。


■子供たちが社会意識を変えていく

小倉 超高齢社会を迎えた日本において、思いやりをもった社会へと意識改革を進める上でパラリンピックには大きな意味があります。高齢者は大なり小なり障害を持つものだと言う人もいますが、そういった意味でこれからの日本は障害者が増える社会とも言えます。パラリンピックを機に、障害者、高齢者を問わず、そうした人々とのコミュニケーションを進めていくことができれば日本はもっと暮らしやすい社会になるでしょうね。

パラリンピック研究会代表 小倉和夫

写真:日本財団パラリンピック研究会代表 小倉和夫

浮島 インクルーシブな社会を目指すべきだと思うのですが、厳しい現実があるのも確かです。先日車椅子スキーのパラリンピアン、大日方(おびなた)邦子さんと対談をする機会があったのですが、実にショッキングな話を聞きました。彼女が新幹線に乗った時のことです。自分の車椅子を車両後方のスーツケースなどを置くスペースに置こうとした時、後ろからその車椅子をどかせと言われたそうです。

小倉 なぜですか?

浮島 大日方さんも意味がよく分からず、えっと思って振り返ったら、ベビーバギーを持った男性がここは自分の場所だと言い張るのだそうです。

小倉 それはひどい話ですね。

浮島 高齢者の方と駅のエレベーターに乗ろうとした時に、私も同じような経験をしたことがあります。やはりベビーバギーを持った子連れの若い男性が、年寄りは歩けるのだから歩け、歩ける人間はエレベーターを使うなというのです。その時に痛感したのは、そう思い込んでいる人にいくら言っても理解してもらえないということです。ある意味、親に教育しても遅いのかもしれません。そんな親に育てられたら子供たちこそいい迷惑です。しかしそれではまずいので、逆に子供を教育して、親に言ってもらう。いわゆるリバースエデュケーションです。親がそういう思いやりのない行為をした時に、「お父さん、それはおかしいよ」って子どもが逆に注意する。

小倉 そのためにも子どもたちへの教育は必要ですね。

浮島 今度の東京パラリンピックは、そうした機運を高めていくための絶好のチャンスかもしれないですね。


学習指導要領にパラリンピックを入れる

小倉 今後、障害者スポーツの振興を図る上で、ポイントが二つあると思います。一つは、障害者の競技団体の強化。もう一つは、どんな風にして選手を発掘し育成していくかです。

浮島 競技団体の強化に関しては、日本財団に「日本財団パラリンピックサポートセンター」を作っていただきました。障害者スポーツの世界にあってこれは画期的なことです。「2020東京オリンピック・パラリンピックを成功させる議員連盟」の一員として、ものすごくありがたいことだと思っています。小倉様が理事長になられたわけですから、こちらの方は安心してお任せできます。将来のパラリンピアンの育成に関しても、とても大事なことだと思います。

みぶりをまじえて話す浮島さん

写真:身ぶりをまじえて説明する浮島さん

小倉 将来のパラリンピアンがどこにいるかというと、小学校や中学校、特別支援学校などにいるわけです。しかし問題なのは、現場の先生方が障害者スポーツをあまり理解していない場合が多いことです。もちろん熱心な方もいらっしゃいますが、まだまだ少数派です。

浮島 先生に理解力がないと、発掘して育てるのは難しいですね。

小倉 ところが現在、そういった障害者スポーツの課程は教員資格の必修科目になっていないわけです。少なくとも体育の教師には、障害者スポーツの教育について学んでもらいたいものです。同時に理学療法士や作業療法士といった資格を取得する際にも、障害者スポーツに関する講義の受講が必須要件になるような時代にならないといけないと思います。
浮島 おっしゃる通りです。私も不勉強で、これまで学習指導要領の中にパラリンピックという文字が入っていなかったのを知りませんでした。今回気付きまして、次の改訂の時にパラリンピックの文字を入れていただくように、国会で質問させていただきました。それで今度の指導要領の中にはパラリンピックという文字が入ることになったのです。

小倉 新聞にも出ていましたね。

浮島 やはり学校の教師が障害者スポーツに関して、しっかりとした知識をもった上で子どもたちに接してもらうことが、これから非常に大切だと思います。


車椅子ダンスが与える感動

小倉 バレエというのは芸術活動であるのはもちろんですが、スポーツの要素も備えていると思います。

浮島 ちょうどスポーツと芸術の真ん中ぐらい(笑)。身体はアスリートですから。

小倉 パラリンピックは障害者スポーツの祭典であると同時に、障害者芸術の祭典でもあります。パラリンピックを成功させるためには、障害者のスポーツと芸術の関係を考えていくことも必要になってきます。

浮島 なるほど、それは面白いご指摘ですね。

みぶりをまじえて話す小倉代表

写真:説明する小倉代表

小倉 障害を克服するのが障害者スポーツの本質であると思います。心身を鍛え障害を克服し、次なる高みに上っていく。それに対して障害者芸術の方は、障害を隠さないで、むしろ障害があることを一つの個性として表現していく。克服しないで、素直にそれを出していきます。

浮島 一人ひとりが輝いているのは同じでも、ちょっと違うのですね。

小倉 浮島先生は、車椅子ダンスを支援する活動もされています。車椅子ダンスをされる方は増えているのですか?

浮島 増えています。もともとダンスをやっていなくても始める方がいますよ。私が関わっているジェネシスオブエンターテイメントというグループには実にさまざまな人がいます。例えば、学校でいじめに遭って自殺未遂をし、足が悪くなって車椅子に乗るようになった方がいます。車椅子ダンスと出会って、一生懸命やれば自分も何かができるのだと気付いてのめり込んでいったそうです。仲間もできて、自分が必要とされているのが分かると、積極的に学校公演にも行くようになりました。

小倉 それは素晴らしいことですね。

浮島 それで一生懸命に踊った後で、子どもたちに講演をしてもらうことにしたのです。自分はいじめを受けて、本当に苦しくて、もうこれ以上生きられないと思って飛び降りた。目が覚めたら足は駄目になっていたけれど、命だけは助かった。だからこれからはこの車椅子ダンスでみんなに感動を与えていきたい。そんな体験談を聞いて、子どもたちは涙が止まらなくなってしまうのです。

小倉 いじめに遭って自殺しようとした人が実際に目の前にいるわけですからね。

浮島 その後で感想文を書いてもらうと、「自分は今いじめを行っているけれど、これからはもう絶対にしない」と告白した児童もいたそうです。子どもたちとって、実体験に基づいた生の話を聞くというのはすごくインパクトがあって、想像以上に教育効果を発揮するものなのです。


障害者スポーツの頂点と裾野を支援

浮島 私の知り合いに、お嬢様がパラグライダーで全日本第2位になった方がいます。でも2位になった直後、練習中に墜落して脊髄を損傷して動けなくなってしまいました。その事実を知らずに、私はその方にパラリンピアンのお話をたくさんしました。家に帰って、その事を娘さんに話したらしいのですが、その娘さんが目を輝かし始めたというのです。自分はスポーツをこれまでずっとやってきた。パラグライダーでも日本一を目指せるところまできた。そんな矢先に、突然こんな体になってしまってどうしたらいいか分からないでいた。でも、パラリンピアンの話を聞いて再挑戦する気になったというのです。

対談をすすめる小倉代表

写真:対談をすすめる小倉代表

小倉 大いに勇気づけられたというのですね。

浮島 それでお嬢様は、「一刻も早く退院して、トレーニングを始めたい。どんな種目か分からないけれど自分はパラリンピアンを目指したい」と言ったそうです。

小倉 パラリンピアンの生き様というのは、失意のどん底にある人に力と希望を与えてくれますからね。

浮島 こうしたパラリンピアンの話がいろんな人にもっとどんどん伝わっていくといいのですが...。

小倉 そうなんです。しかし、大半の障害者あるいは関連団体の方は、自己宣伝することには若干消極的なことも事実ですね。

浮島 それは言えますね。

小倉 競技団体のホームページを見ても、「競技大会がいつどこで開かれますから、皆さん来てください」というようにはなっていないですね。

浮島 本来ならどんどん声を上げていかなければ駄目ですよね。

小倉 集客する努力をしていただかないと。

浮島 障害者の方を表に出すのは、障害者の方に対して失礼になるんじゃないかと言う人がいます。しかし障害者の方と直接お話をすると、「自分たちはもっと表に出たいし、やりたいこともいろいろある。でも、厳しい世間の目があって踏み切る勇気がない」とおっしゃるんですね。だからその壁を突破するのはなかなか大変だと。

小倉 そうした壁を打ち破るには、障害者のトップアスリートの存在が重要になってきます。彼らの活躍が社会の意識を変えていく上で大きな力になりますから。

浮島 この5年間が一つの勝負ですね。一人でも多くの方にパラリンピアンに接していただき、パラリンピックを見に行きたい、障害者スポーツを支援したいという気持ちを醸成していく。そのためにはパラリンピアンの露出度を高めることも必要です。テレビなどにも出演してもらって、多くの人々に障害者スポーツの素晴らしさを知っていただくことが大切ですね。

小倉 障害者スポーツの振興を考える上で、障害者アスリートの頂点が高くないと裾野が広がりません。同時に裾野が広くないと山は高くなりません。その両方を2020年に向けてやっていくことが大事だと思います。そのために私たち日本財団パラリンピックサポートセンターでは、競技団体はもとより、日本パラリンピアンズ協会も支援していきたいと思っています。

浮島 それはどんどんやっていただきたいですね。パラリンピックの成功なくしては、オリンピックの成功はないと思っています。本当にパラリンピックを大成功させたいですね。

対談を終えたふたり

写真:対談を終えて


浮島とも子さんプロフィール写真

浮島とも子 衆議院議員。2020東京オリンピック・パラリンピック大会を成功させる議員連盟事務局次長。1963年生まれ。東京立正高等学校卒業後、香港ロイヤルバレエ団、米国デイトンバレエ団でプリマバレリーナとして活躍。阪神淡路大震災をきっかけとして、1996年に帰国し神戸にてボランティア活動を始める。1998年に「劇団『夢』サーカス」を設立し、日本各地で公演を行う。2004年、参議院議員当選。2012年より、衆議院議員。

小倉プロフィールフォト.jpg小倉和夫 日本財団パラリンピック研究会代表および日本財団パラリンピックサポートセンター理事長。1938年生まれ。外務審議官、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長などを歴任。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致では評議会事務総長を務める。青山学院大学特別招聘教授。