TOKYO2020 パラリンピック対談
パラリンピックをなくしたい!?
第7回 乙武洋匡さん 作家
対談シリーズは動画でもご覧いただけます。(下記リンクから新しいウィンドウで開きます)
■車椅子バスケの可能性
写真:対談シリーズ第7回 乙武洋匡さん(右)と小倉和夫(左)
小倉 乙武さんは、スポーツライターとしてご活躍されていた時期もあります。スポーツに情熱を傾けるようになったきっかけは何ですか?
乙武 父がプロ野球の大ファンで、一緒にリビングで観戦するのがすごく楽しくて、スポーツを見るのが好きになりました。それから、こういう体でありながら体を動かすことが非常に好きだったんです。小学校の休み時間に友だちと一緒にサッカーやドッヂボールをやったりして、スポーツを楽しんでいました。
小倉 いずれも激しい運動ですね。
乙武 はい。車椅子から降りて、この短い足でボールを蹴ったり、この短い腕でボールを投げたりができるにはできるのですが、みんなと同じというわけにもいきません。それで友だちが、私が入っても一緒にプレイできるような特別のルールを考えてくれまして、実際に体を動かしてスポーツを楽しめるようになりました。
小倉 中でもバスケットボールには熱中したということですが、何か理由があったのですか?
乙武 中学生になって仲の良かった友人がみんなバスケ部に入るというので、それじゃ自分もやってみようというノリで入ったんです。ですから、実際に手足の不自由な自分がどうやってバスケをするのかは正直考えていませんでした。いざバスケ部に入部してみて、さてどうしようかといった感じでした。私みたいな者が入部して顧問の先生もお困りになったと思います。でも車椅子から降りて、ドリブルやパスを一生懸命練習しているうちに、だんだん認められるようになって試合にも出させていただけるようになりました。
小倉 現在、車椅子に乗ったままでプレイする車椅子バスケットが注目を集めていますね。
乙武 車椅子バスケは非常にエキサイティングなスポーツだと思いますよ。
小倉 普通のバスケットの試合並みに人気があるそうで、車椅子バスケットという新しいスポーツだと言う人もいますね。
乙武 プロスポーツ化している国もありますからね。
小倉 健常者も一緒に楽しめるところも魅力ですね。
乙武 実際に大学でも、健常者による車椅子バスケットのサークルが誕生していますからね。まさしくユニバーサル・スポーツです。障害者と健常者が一緒に参加できるスポーツが増えてくるというのは、社会全体にとっても非常にいいことだと思います。
■プロ化する障害者スポーツ
小倉 障害者スポーツの競技能力が高まり、プロスポーツ化している競技も増えています。しかしその反面、例えばボッチャなど、普及しにくい競技があるのも事実です。車椅子バスケットやウィルチェアラグビーなどは動きが激しくエキサイティングなので大いに盛り上げていこうという流れがある一方で、そうではない競技にももっと光を当てるべきだという意見もあります。
乙武 すべてのマイナースポーツに脚光が当たって、どのスポーツも人気がでるというのがもちろん理想ではあるのですが、正直な所、多くの人々を魅了する競技と、深く理解した上でないとその魅力が伝わりにくい競技とに分かれてくると思うんです。現段階では、パラリンピック競技の中で、一般受けしそうなものを先行的に売り出していくというのが現実的かなと思います。
小倉 1964年に東京でパラリンピックが開催された時には、日本人の参加者にはスポーツの経験がほとんどない人が少なくありませんでした。大半が数ヵ月前から練習を始めたそうです。まさに参加することに意義があった時代です。それが最近では、パラリンピックのオリンピック化が進んでいます。そこには、記録主義、金メダル主義も含まれます。しかしパラリンピックはそれでいいのでしょうか?
写真:日本財団パラリンピック研究会代表 小倉和夫
乙武 私はやはり時代の変遷という観点から考えるべきだと思います。オリンピックとパラリンピックはそもそもの成り立ちが違うわけですから、それぞれ理念が異なるスタートだったのは当然です。パラリンピックはリハビリテーションの一環から始まったもので障害者の社会参加といった意味合いが強かったのですが、ここ数年でそれも変わりつつあります。私は、パラリンピックも「より速く、より強く」を目指していい時代になったのではないかと思います。逆にそうした理想を目指せる環境を整えていくことが、社会の成熟につながっていくのではないかと。
■難しい障害者同士のコミュニケーション
小倉 健常者と障害者のバリアをなくしていくことは今後進めていくべきだと思いますが、障害者の間のバリアというのも実は大きな問題ではないでしょうか? 視覚障害者や聴覚障害者、知的障害者がそれぞれに横の連絡をとるのはなかなか難しいようです。障害者スポーツも同じで、他の障害の選手たちと連絡を取り合うことはあまり行われていないようです。そうしたコミュニケーション不足が、日本の障害者政策を進める上での一つのネックになっているという方もいます。
乙武 障害者同士もっと交流があっていいと思います。と言うのは、障害者の中にもいろいろな方がいらっしゃるからです。私のようにすでに自分の障害を受容して、その中で自分らしさを考えながら人生を歩んでいる人間もいれば、なかなかご自身の障害を受け入れることができず、どうして自分だけがこんな境遇にいるんだという精神状態にある方もいらっしゃいます。
小倉 後者の方が多いかもしれませんね。
乙武 そうした人々が交流することで新たな気付きや発見があるかもしれません。自分とは異なる種類の障害を持った方と触れあうことで、自分はこれだけ大変だと思っていたけれど、違う大変さを抱えている人がたくさんいることが分かってきます。大変なのは自分だけじゃないのだという事実に気付くことで、人生に対して前向きになれます。
小倉 それは大いに力づけられるでしょうね。
乙武 ただしパラリンピアンに関して言えば、もうすでに自分の障害を受容されて、自分らしさを大切にしなから前向きに進んでいる方々ばかりなので、異なる障害の方々とコミュニケーションを図ることの意味合いは多少薄まるとは思うんですね。でもせっかく同じパラリンピック大会に出場しているのですから、障害の種類や国境を越えて選手同士が出会うことで、さまざまな化学反応が生まれる可能性はあります。そうした意味では、何か素敵なつながりが生まれると思いますよ。
■進化する義足が投げかける問題
乙武 最近、障害者アスリートと義足の関係に興味があります。本来歩行や跳躍を補助するはずの存在なのに、あまりにも進化のスピードが速くて、健常者の機能を凌駕(りょうが)しつつあります。これをどう捉えていくべきなのか。国民的な議論を越えて、国際的な議論が必要な段階に入っていると思います。
小倉 おっしゃる通りですね。おおげさな言い方ではなく、人類全体にとって大きな問題だと思います。人間観と言いますか、人間がどういう存在なのかということにも関連しますから。現在では、義足はもちろん義手もだんだん進化してきました。ある種の着物的な感覚、ちょっと羽織るような存在で、脳波からの伝達で普通の手足のように自由自在に動かせるようなものもできつつあるようです。そうなってくると、普通の人間の腕や足よりももっと優秀な働きをするようになります。
乙武 サイボーグはすでにSFではなくなっていますからね。
小倉 現にオスカー・ピストリウスのように、健常者をもしのぐような記録を出す障害者アスリートも出てきていますからね。技術の進歩によって障害を克服し、さらに健常者よりも優れた結果を生み出すようになった時、障害者という存在をどう捉えていくべきなのでしょうか?
乙武 義足で走る場合、片足だけの義足よりも両足の義足の方がバランス的にはいいので、タイムが伸びると言われています。義足ランナーの本音として、障害のない方の足も切り落として両足義足にしたいと思っている人もいるようです。それが倫理的に許されるかどうかは置くとして、ウサイン・ボルトよりも速く走れることが判明した場合、健常者であっても両足を切断し義足をつけて、人類最速のランナーを目指すという人が出てくる可能性は否定できません。人間の欲望というのは限りないですから。
■障害者の心のバリアフリーも大切
小倉 バリアフリーに関して、今後どんな点を改善していくべきだとお考えですか?
乙武 私が『五体不満足』という本を出させていただいたのが1998年で、今から18年前になります。当時は現在のようにバリアフリーという言葉も浸透していませんでしたし、実際に車椅子で快適に生活できるかというとかなり難しい部分が多かったです。だだし、15年ぐらい前から、だいぶ変わってきました。新たに完成した公共施設に関しては、エレベーターもついているし、多目的トイレも完備していて、非常に快適に過ごせるようになってきています。問題はやはりそれ以前に建てられたビルや公共施設のバリアフリーをどうするかという問題です。一つには改修ということも考えられるのですが、構造上改修工事が不可能な場合、やはり人的に補助していくしかないと思います。いずれにしても今後はパラリンピックもあることですから、バリアフリーをさらに意識して街づくりを行っていくべきでしょうね。
小倉 そうしたバリアフリーとともに心のバリアフリーも今後一層進めていくべきだと思います。その際に健常者の意識を変えていくことはもちろん重要なのですが、障害者の側の心のバリアフリーも大切ではないかと思うのですが、いかがですか?
乙武 おっしゃる通りです。障害者の心のバリアフリーに関しては、教育に非常に重要な鍵が隠されていると思います。障害があるという理由だけで学ぶ環境を分けられ、障害者自身が「自分は健常者よりも下の存在なんだ」と卑下したり、自己否定したりというケースが少なくありません。逆に健常者と同じ環境で勉強したことによって、いじめを受けて余計に自己否定してしまうということもあり得ます。一概にどちらがいいとは言えませんが、いずれにしても、健常者とどんな形で関わりをもつのかが非常に大きなポイントになると思います。
■選択肢を整えて同じスタートラインを
小倉 乙武さんは最初から普通学級に入られて、ご両親からも特別扱いされずにやってこられましたよね。最初から自立しようという意思があった。これは非常に大事なポイントだと思います。と言いますのは、日本社会全般に、学校の先生や企業に責任を押しつけるなど、他者に責任転嫁して自己責任を取らないという傾向が強いと思うのです。乙武さんのように障害をお持ちになりながら自立されている方がその存在を社会に示していくことが、日本を変える上で大きな力になると思うのですが、いかがですか?
乙武 ありがとうございます。私はスタートラインをきっちりと揃えることが大事だと思っています。やはり健常者と障害者では、与えられている選択肢の数が圧倒的に違うわけです。そうした状況で、同じテーブルについて勝負しろと言われても、これはフェアじゃない。やはり障害者にもきちんと選択肢が与えられて、健常者と同じスタートラインに立って勝負できる環境を整えるべきなんです。ただし、同じスタートラインに立ったら、あとはよーいドンでスタートして、それからは努力した人が、障害のあるなしにかかわらず、上に行き、活躍できるというのが健全な社会のあり方だと思います。
小倉 選択肢ということに関して、障害者アスリートの場合、セカンドキャリアが本当に限られています。日本では、企業に勤めながら選手として活躍し、選手生活が終わった後もそのまま同じ企業で働くというパターンが多いようです。それに対して、例えばアメリカなどでは、企業に属するというよりも、プロとして独立し、選手生活を終えた後は、プロのコーチなり監督、あるいは学校の先生になるなどさまざまな道が開かれています。企業から支援は受けますが、別に雇用されているわけではない。こうした障害者アスリートのプロ化を進めていかなくては、これから日本が金メダルを取ることは難しくなるという声があちこちから聞こえてきます。
乙武 雇用されていると自分の身分が保障されているわけですから、どうしても甘えが出てきます。「試合で結果を出さないと自分はメシが食えない」というプロ意識で自分を追い込んでいってこそ、世界的な記録が狙えるわけです。ですから世界での戦いに日本が勝ち残っていくためには、プロ化を進めていく方がいい。そしてプロとして結果を出して、引退後の道を切り開いていく。しかし現在の状況では、プロとしての選択肢はほとんどありません。健常者のアスリートなら、企業に雇用されてやっていく道もあれば、プロになる道もあるというように選択肢がありますが、障害者のアスリートにはそうした選択の余地がほとんどありません。今後は、プロになりたい障害者アスリートがそれを選ぶことのできる土壌を作っていくことが大切です。
小倉 障害者の選択肢の数を増やし、健常者とスタートラインを揃えていくためにはどうしたらいいのか? 今度の東京大会を契機に、スポーツの世界だけでなく、社会全体でいろいろと考えていくべきでしょうね。
■2020年東京パラリンピックで新たな歴史を
小倉 2020年の東京オリンピック・パラリンピックにどんなことを期待しますか?
乙武 私自身は、以前からずっと将来的にはパラリンピックをなくしたいというふうに思っています。ただそれは障害者アスリートの活躍の場を奪いたいと思っているのでは全くなく、オリンピックとパラリンピックを統合して一つの大会にしたいと考えているのです。ただこういう話をすると、同じ競技を健常者と障害者が一緒にやったら、健常者が勝つに決まっていて勝負にならないと言う人がいます。しかしそうではなくて、例えば柔道やレスリングですと、体重によって階級が分かれていますよね。それと同じで、同じ競技でも階級や種目を分ければいいと思っているのです。陸上の100メートル走を例にとると、ウサイン・ボルト選手が出場するような健常者の部もあれば、車椅子ランナーや視覚障害者ランナー、義足ランナーの部もあるというように種目を分けるのです。一つの大会で健常者と障害者が同じ競技のいろいろな種目を行うという考え方です。
小倉 なるほど、それは面白い着想ですね。
乙武 ただ現実問題として、今でもオリンピックが商業化に舵を切って大会自体が肥大化し規模が大きすぎると批判されているのに、そこにパラリンピックまで加わるとなると、一体どの都市で開催が可能なんだということにもなりかねません。ましてや2020年に間に合うのかといえばそれは無理だと思います。しかし将来的に統合がなされた時に、その先鞭をつけたのが2020年の東京大会だったと言われたいのです。
小倉 具体的にプランは何かお持ちですか?
乙武 現状ではオリンピックが終わり、パラリンピックが開催されるまでの2週間ほどの期間に、何か一つの競技だけでも共同開催できないかと思っています。東京マラソンでは同時開催を毎年やっていますから、決して不可能ではないと思います。いろいろな調整ごとはあるにせよ、もし実現すれば、オリンピックとパラリンピックの融合に向けて一条の光が見えてくるのではないかと思って、あちこちで提案させていただいています。
小倉 それは大変貴重なご提案だと思います。1960年にローマで開催された最初のパラリンピックは脊椎損傷の障害者だけの大会だったのです。それに対して、1964年に東京で開催するに当たって、視覚障害者や聴覚障害者などさまざまな障害者が参加する大会にしたいと日本は主張したのです。
乙武 それが今のスタイルのパラリンピックにつながっているのですね?
小倉 そうなのです。当時は国際的主催団体の反対があってすんなりといかなかったので、第一部は脊椎損傷の障害者の大会、第二部はそれ以外の障害を持つ人を含む大会ということにしたのです。その時に西ドイツが日本の趣旨に賛同して、参加してくれました。それが一つの契機となって、現在のようなパラリンピックにつながっていったのです。
乙武 同じように、このアイデアが実現して、今度の東京大会がオリンピックとパラリンピックを融合するような動きの第一歩となることを願ってやみません。
小倉 オリンピックとパラリンピックの融合は乙武さんが言われるようになかなか実現が難しいのは確かです。でもそこから一歩踏み出すことが出来れば、それだけでも今度の東京パラリンピックの意義は十分にあると思います。
写真:対談を終えて
【Profile】
乙武洋匡 作家。1976年生まれ。大学在学中に出版した『五体不満足』がベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、杉並区立杉並第四小学校教諭を経て、2013年2月には東京都教育委員に就任。教員時代の経験をもとに書いた初の小説『だいじょうぶ3組』は映画化された。おもな著書に『自分を愛する力』、『オトことば。』、『オトタケ先生の3つの授業』など。
小倉和夫 日本財団パラリンピック研究会代表。1938年生まれ。外務審議官、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長などを歴任。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致では評議会事務総長を務める。青山学院大学特別招聘教授。